企画の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:12 UTC 版)
軽い気持ちで引き受けた2人だったが、中国入国の際にビザが必要であることを知らず、いきなり香港で数日足止めを食らうことになった。所持金の10万円はすぐに底をつき、その後は日雇いアルバイトをしながら食費、交通費を稼ぎ心身ボロボロになりながらヒッチハイクを繰り返し西へと向かった。 インドを過ぎた辺りから高い人気が出始め、視聴率は急上昇。結果、他の企画が押されるはめとなり、松村降板にもつながった(後述)。爆風スランプによる応援歌「旅人よ」も発売されたり、ヒッチハイク時代を書いた『猿岩石日記』もシリーズ累計で250万部のベストセラーになったりと反響は大きかった。 なお、猿岩石は全行程をヒッチハイクだけでゴールしたとされていたが、道中で3回ヒッチハイクでない飛行機を使っていたことが判明した。ルートの途中には国境での外国人入国禁止となった国や内戦や治安が悪いところがあり、大事をとって飛行機に乗ったものとしているが、番組では判明するまで全く触れていなかった。日本テレビの氏家齊一郎社長(当時)は「(バラエティという)番組の性質上、倫理とか道義的な責任はないと考える」とコメントし、各方面から非難を受けた。 また、バックパッカー経験者からは、番組中で猿岩石が「治安の悪い地域で野宿をする」「生水を飲む」といった実際の旅行者なら絶対に行わない行動をしていることから、「番組を真似した視聴者が実際にやれば命に関わる」と警告の声が出ている。 一方で、2人の頑張っている姿に感銘を受けた俳優の渡哲也から石原プロモーションを通じて、日本テレビに猿岩石への「救援物資」提供の打診を行っていたことを2020年8月に渡が死去した際に、有吉が自身のレギュラーラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(ジャパンエフエムネットワーク)で明らかにしている。日本テレビ側が丁重に断ったため、物資の提供は実現しなかったが、猿岩石の帰国後に石原軍団開催のパーティーに招待されるなど、渡との交友関係が続いた。
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企画の推移
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彼らの旅は常に出会いを大切にする旅であり、ドキュメンタリー色が強かった。アルゼンチンで、地元の人のアドバイスにより小学校でスペイン語を勉強し、日常会話に支障がないほどに習得する。その後、入院した病院で同行ディレクターに行動を強制されたことをきっかけに一度ギブアップを宣言するが、協議の結果和解が成立し終了の危機から脱する。ブエノスアイレス州のドロレス(en:Dolores, Buenos Aires)という街では「電波少年番外編」の企画としてはねだえりかとともにドロンズを探していた両親との再会を果たし、突然の出発で顔も合わせる暇がなかった家族に対し改めて旅の出発の挨拶をする。ペルーでは地元テレビ局のプロデューサーに気に入られ1カ月近くバラエティ番組『リサスイサルサ』(es:Risas y salsa)に出演し、アメリカではキャンピングカーで旅をしている男性に、体調不良になった大島直也の入院費を全額負担してもらうなど、人との触れ合いが多かった。一方、同行ディレクターが見知らぬ男に暴行される、ヒッチハイクした車がスピードの出しすぎで横転する事故に遭うなど、一歩間違えば生死に関わるようなトラブルも多かった。 同企画でも猿岩石の時と同様にテーマ曲が作られ、TUBEの前田亘輝による応援歌「君だけのTomorrow」がヒットを記録した。書籍としても企画と並行して『ドロンズ日記』全5巻が、また旅の完結後にムック本「全ドロンズ―Whole lotta Dorons with comic」が発売された。
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