企画の発端と変遷とは? わかりやすく解説

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企画の発端と変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 05:15 UTC 版)

源氏物語大成」の記事における「企画の発端と変遷」の解説

もともと本書編纂する事業日本最初類義語辞典編纂した国文学者芳賀矢一1922年大正11年3月東京帝国大学依願により退官するのに伴った記念事業として企画されたものである1923年大正12年3月にはこの事業推進のために「芳賀矢一功績記念会」も結成された。最終的にこの事業1926年大正15年4月に、当時若手研究者として将来期待されていた池田亀鑑委嘱されることになった。この計画最初は2ないし3冊程度からなる源氏物語注釈書2年程度完成させることを目指し計画されたものであり、池田亀鑑当初当時入手できた印刷本河海抄花鳥余情をもとに作業進めようとしたが、腑に落ちない点があって調べてみるとこれらの注釈書写本はいくつもの系統があって写本ごとの差異があったりするため、印刷本注釈書内容元にして適当に取捨選択して一通り注釈書まとめ上げることは不可能ではないにしても杜撰非難を受ける虞があるとして、それより古注研究者容易に利用できるような資料、すなわち「古注集成」を作ることの必要性感じたため、記念に対して同事業を「源氏物語古注集成作る事業」に変更することを申し出て了承された。さらに作業進めていく中で、源氏物語本文写本ごとの異なり当時一般に言われていたような源氏物語本文には、写本版本によって単純な写し間違いなどに起因すると見られる細かい差異多数存在するものの、文の意味や話の筋立て影響を及ぼすような違いはほとんど存在しない」という状況ではなく古注解釈の上でも無視できない差異がしばしば見られることが明らかになり、「それぞれ異なった本文に対して注釈加えているそれぞれの古注それだけをただ集め並べて比較することは出来ない古注集成作るためには先に注釈対象となっている本文異同明らかにする必要がある。」として、当時まだ源氏物語本格的な校本存在せず湖月抄首書源氏物語といった近代以前版本そのまま活字化したものか、金子元臣の『定本源氏物語新解』(明治書院、1925-1930年)のような湖月抄』を底本として河内本校訂したものくらいしかなかったこともあり、再度計画変更して第1段階作業として源氏物語学術研究耐えうる校本作ることになったこの度々の計画の変更については、「芳賀矢一記念会」の了承得て、また芳賀矢一死去する1927年昭和2年)までは同人了承をも得ていたとされており、この点について池田源氏物語大成序文の中で「本来の計画正し発展である」と述べている。

※この「企画の発端と変遷」の解説は、「源氏物語大成」の解説の一部です。
「企画の発端と変遷」を含む「源氏物語大成」の記事については、「源氏物語大成」の概要を参照ください。

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