電波少年とは? わかりやすく解説

電波少年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 06:20 UTC 版)

Rまにあ」の記事における「電波少年」の解説

電波少年に出演する前、所属事務所主催するライブオーディションに全く受からなくなり途方に暮れていた。マネージャーに「事務所辞める」と告げた日、最後の仕事として依頼されたのが、電波少年の前説だった。前説数日後自宅からマネージャーとの打ち合わせに向かう最中道路駐車されてあったマイクロバスドアが突然開き土屋敏男プロデューサーから『何やってるんだ乗れ。飯奢ってやるよ』と促された。パスポート渡され目隠しヘッドフォン付けられ情報遮断され3日ぐらい連れ回された後、ヘッドフォン外されて、5、6人の聞いたことのない外国言葉飛び交っていて、ここはあたかも外国空港から出発するかのように番組側が演出していた。「電波少年的無人島脱出」の企画は、愛媛県無人島から、自分たちで筏を作って脱出し、人が住んでいる場所まで行くというのがゴールだったが、案の定Rまにあ自分たちがいる無人島海外だと信じ切っていた。この無人島は、後にDASH島となる。この企画チャレンジした理由について宿輪は「僕も相方も正直、テレビですからいろんなサポートがあって、実際楽なんじゃないかなと思っていたのと、「電波少年」ってその頃人気あったので、出演できたらおいしんじゃねえかっていう、安易な感じ引き受けました」と完全に若気ノリで引き受けてしまったという。 「電波少年的スワンの旅」で使用されスワンボートは池で貸し出されているスワンボートとは違い航洋向けにヨットデザイナー高井理に設計依頼した番組オリジナル。国内用に2隻、インド洋用に1隻建造された。国内用は純然たる人力航行システムで、2人で漕ぐことで最高耐水速力5ノット設計であった実際海況にもよるものの2〜3ノットと実に微速であり、また人力船ゆえに軽量求められ構造脆弱なため緊急時曳航ままならず、よって番組収録過酷極める結果となった。なお当初の予定では目的の島や港の付近のみ実際に人力漕ぎそれ以外大半航程サポート艇で曳航する計画だったが、前記理由早々に断念されている。続く海外版では、1回航行距離が長くなることと、先の過酷さから学び特別設計推進システム採用し船体補強して臨むものの故障多く結果としてオール等の人力主体となり、熾烈なロケ強行せざるを得なくなった、とされている。こうした事のため企画経費当初予定遥かに超えてしまい、Rまにあ自身はもちろんスタッフ多く疲労困憊してこの企画そのもの疑問を呈する者も少なくなかったという。 この「電波少年的スワンの旅」で使用した脚力使い今度雷波少年企画シドニーへの道」において競輪競技世界へ挑戦することになり、競輪学校2人短期入学をした後、東京ドーム行われた競輪選手権出場するが、ケガ断念翌年2回目挑戦をして、宿輪はサポート役で中嶋出場して見事に芸能界で1位に輝いて企画終了となった。 こうして一連のRまにあ企画は、電波少年と雷波少年合わせて2年に渡る最長記録になった(「無人島生活」105日間。「スワンの旅」愛媛東京75日間東京仙台85日間インドインドネシア283日間)。

※この「電波少年」の解説は、「Rまにあ」の解説の一部です。
「電波少年」を含む「Rまにあ」の記事については、「Rまにあ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「電波少年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「電波少年」の関連用語

電波少年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



電波少年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのRまにあ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS