企画の始動と中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:11 UTC 版)
「クライ・マッチョ」の記事における「企画の始動と中止」の解説
N・リチャード・ナッシュ(英語版)が執筆した脚本『Macho』は、1970年代に20世紀フォックスから2度にわたり企画を却下されていた。彼は没になった脚本を小説として書き直し、1975年6月11日に『クライ・マッチョ(英語版)』のタイトルで出版された。小説が好意的な評価を得た後、ナッシュは「一字一句文章を変えずに」再び脚本の映画化を目指し、2000年に死去するまでに20世紀フォックスなど複数の映画スタジオに脚本を売り込んだ。 プロデューサーのアルバート・S・ラディは『クライ・マッチョ』映画化のために長年取り組み、1988年にクリント・イーストウッドに出演を持ちかけた。イーストウッドは「主人公を演じるには、私は若過ぎる」として出演を辞退したものの、代わりに監督を引き受け、主演にはロバート・ミッチャムを推した。1991年にロイ・シャイダーを主演に起用してメキシコで撮影が始まったが、完成せずに終わった。その後、バート・ランカスターやピアース・ブロスナンを主演に起用するという企画が不調に終わり、2003年にアーノルド・シュワルツェネッガーに「『ウエストワールド』のリメイク版か『クライ・マッチョ』のどちらかの主演に起用する」という話が持ちかけられた。シュワルツェネッガーは『クライ・マッチョ』を選んだものの、直後に彼はカリフォルニア州知事に当選したため、ラディは企画を保留するようにシュワルツェネッガーに提案した。2011年に州知事を退任した後、シュワルツェネッガーは『クライ・マッチョ』への出演を発表し、ブラッド・ファーマンが監督を務め、ニューメキシコ州で撮影が行われることが明かされた。しかし、マリア・シュライヴァー(英語版)との離婚後、シュワルツェネッガーがメイドとの間に隠し子をもうけていたことが報じられスキャンダルに発展したため、製作は中止となった。
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