企画の成立
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1992年2月にオリジナルビデオとして制作・発売された『真』の売れ行きが好調だったことから成立した企画である。『真』の続編とする案や仮面ライダー1号からBLACK RXまでが登場する娯楽大作とする案なども存在していたが、最終的に新たな仮面ライダーの単独作品となった。 当時の東映ビデオ社長・渡邊亮徳とバンダイビジュアル社長・山科誠の協同企画案を、マルチ・キャンペーンによる興行力の増幅策推進を条件に、東映社長・岡田茂がいち早く製作に踏み切った。岡田は1992年9月のインタビューで、「今は映像が末広がりで商売になると、商社なんかが儲かる手口を研究しているけど、映画そのものはあんまりよく判らず、投資対象、商売対象として手掛けてみようというようなところと組んでも東映としては意味がない。映画を製作してお互いちゃんと儲けて分の立つことをやろうというところとじゃないと僕は提携したくない。来年の5月にはバンダイの山科君と組んで『仮面ライダー』の新作を出すことに決めている。バンダイはキャラクター商品をリフレッシュして大量販売を狙って力を入れるわけだし、東映は事前にプロモーションの一環として、映像事業部が『仮面ライダー・ワールド』を全国展開するというように、お互い組むことで、両社の総合戦略でゴールデンウイークの一大イベント化しようと、これは組んで意味があることだから、早く決めようというので公開一年前のこの春、『よしやろう』と決めたんだ」、1993年6月のインタビューでは「『仮面ライダーZO』の製作は社内でも抵抗があったんだが、オレが『ダメだ、やれ』とゴールデンウイーク興行を強行させたんだ」などと述べている。 当時、東映のゴールデンウイーク興行は、1991年の『本気!』『シャイなあんちくしょう』の2本立てが配収1億5000万円、1992年の『赤と黒の熱情』も配収2億円に届かずと、2年連続で悲惨な状況に追い込まれていたため、岡田の「やっぱり子ども狙いが確か」という判断により、この年1993年のゴールデンウイーク興行に本作を据えた。 製作の正式決定は1992年3月。映画、テレビ、催事、物販など、各分野の機能を有機的に結び付け、その相乗効果を興行に及ぼすというマルチ・キャンペーンを実施するためには早期の製作決定が必要だった。 映像に対する並々ならぬ意欲を燃やしていた山科は、1992年8月24日付けでバンダイメディア事業本部を販売子会社・バンダイビジュアルに譲渡し、企画から販売まで映像事業を一元化し、映画への積極的投資を打ち出した。 「20周年記念作品だから単独作品として公開すべき」との声があったが、興行面でのリスクを考慮して「東映スーパーヒーローフェア」と銘打ち、スーパー戦隊シリーズ『五星戦隊ダイレンジャー』やメタルヒーローシリーズ『特捜ロボ ジャンパーソン』の各劇場版と併映された。そのため、当初の想定していた90分前後より短い48分という尺に物語を詰め込んでおり、かなり展開が駆け足になってしまっているが、雨宮としては、尺が短いからこそ幕の内弁当のようにギッシリ詰め込みたかったそうである。
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