人と芸術とは? わかりやすく解説

人と芸術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/16 02:56 UTC 版)

田中親美」の記事における「人と芸術」の解説

父は大和絵師の田中有美、母いとの長男として京都生まれた本名は茂太郎(しげたろう)。12歳多田親愛入門し書を学び、その勧めにより古筆模写はじめた大口周魚にも知遇を得、周によって発見された「西本願寺本三十六人家集」の料紙美しさ惹かれ、その複製制作決意したという。 模写は書にとどまらず絵画にも及び、「紫式部日記絵巻」、「源氏物語絵巻」、「佐竹本三十六歌仙絵巻」、「西本願寺本三十六人家集」、「元永本古今和歌集」、「平家納経」、「久能寺経」等、平安朝美術中心に文化財摸本複製成した。また古筆名品集めた月影帖(つきかげじょう)」、手鑑ひぐらし帖」、さらに「佐竹三十六歌仙」を刊行し平安朝美術研究普及、そして和様書道発展大きく寄与した100年生涯模写した古画古筆作品3000点以上と言われその内容絵巻荘厳経・古筆を主とし、仏画琳派にまで及ぶ。神業とも呼ばれた自在な筆致料紙製作は分業したが書は全て自ら書いたと言われる)と平安朝料紙製作技術復元、形や色は勿論のこと剥落滲み擦れや筆の勢いまで再現する卓越した画力、そして多く国宝文化財原本に(借り出して手元に置くなどして)保護優先される現在では想像できないほど身近に長く接し神髄触れた体験に基づく知見博識で、明治以来古筆鑑定先覚者第一人者仰がれた。 古画古筆以外の作品少ないが、確認されているものでは徳川美術館本館旧正玄関壁面葦手文様護国寺多宝塔内部円柱の仙画金銀五彩紋様弁慶橋橋名板揮毫などがある。 模写研究通じて多く交友持ち、特に、師匠であった多田親愛友人であり支援者でもあった益田孝鈍翁)、原富太郎三溪)の三人への敬愛深く亡くなるまで枕元には三人写真飾られていたといわれる一家京都からの上京を促し支援者となった三条実美をはじめ、松方正義田中光顕森林太郎鷗外旧帝博物館総長)、小林一三逸翁)、団琢磨大倉喜八郎根津嘉一郎藤原銀次郎松永安左エ門(耳庵)、畠山一清(即翁)、高橋吉雄箒庵)、徳川義親五島慶太吉川英治横山大観らとの交友記録が残る。 晩年後進育成熱心に取り組み研究者書家やその弟子達を定期的に自宅招いて研究会主宰し、自ら製作した作品収集した古画古筆直接触れさせながら様々な議論行なっていたという。研究会参加者には飯嶋春敬、萩谷朴植村和堂などがいる。この研究会は親美の没後長男によって引き継がれている。 1950年昭和25年文化財専門審議会委員就任1955年昭和30年紫綬褒章1960年昭和35年日本芸術院恩賜賞受賞1964年昭和39年勲四等旭日小綬章受章墓所多磨霊園

※この「人と芸術」の解説は、「田中親美」の解説の一部です。
「人と芸術」を含む「田中親美」の記事については、「田中親美」の概要を参照ください。

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