社会派への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 05:06 UTC 版)
1950年2月、日本美術会の機関誌『BBBB.』に「井上長三郎のこと」を掲載。同年8月、『アトリエ』誌の特集「展覧会のあり方について--インタービューによる批判と解説」に参画。 1952年2月、日本美術会事務局長となる。委員長は別府貫一郎。 1955年冬、佐藤忠良の先達で、常磐炭坑を鳥居敏文、朝倉摂、森芳雄、中谷泰、竹谷富士雄、西常雄、岩松光一郎らと旅行。 1962年11月、日本共産党発行の『文化評論』誌に「パブロ・ピカソ-その人と芸術」。 1963年7月、同誌に「絵画における民族性と伝統の問題」発表。 1964年、大野五郎、寺田政明、森芳雄らと主体美術協会を結成。 1965年、中国旅行。 1969年、フランス、スペイン、イラク、イラン、インド、中央アジアを旅行。 1970年、大野五郎、糸園和三郎、寺田政明と「樹展」グループを作る。 1974年、銀座のギャラリーで回顧展。 1975年、福島県文化会館で回顧展。同年6月、日本美術会代表となる。 1980年、日本テレビで「美の世界 わが大地なる民のうた 吉井忠」放映。 1981年5月、日本美術会代表退任。 1982年7月、新日本出版社発行の『文化評論』誌の反核特集に、コメントを発表。 1984年1月、同誌に「ファシズムと日本の画家たち」を発表。 1986年、メキシコ、キューバを、1988年に敦煌、トルファンを旅行。 1992年、「吉井忠展 - 大地に響く人間の詩」(福島県立美術館)開催。 1999年8月5日没。享年91。 2006年1月14日から1月20日、ゆかりの東京都豊島区長崎のギャラリーで「吉井忠展」。 2009年1月24日から3月1日まで、福島県立美術館で「吉井忠展」。1月24日から2月8日、生誕100周年にちなんだ作品展が郡山市駅前のギャラリーで開催。
※この「社会派への道」の解説は、「吉井忠」の解説の一部です。
「社会派への道」を含む「吉井忠」の記事については、「吉井忠」の概要を参照ください。
- 社会派への道のページへのリンク