交流電化以後
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1960年(昭和35年)には仙山線に準急列車が登場した。これは、仙台駅と新潟駅を結ぶ準急「あさひ」と、仙台駅と酒田駅を結ぶ準急「月山」である。この二つの準急列車は仙山線内で併結運転を行っており、1往復が設定されていた。1963年(昭和38年)には仙台駅と山形駅を結ぶ準急「仙山」3往復が運転を開始した。これらの準急列車はいずれも後に急行列車となった。 1984年(昭和59年)に仙山線は大きな変化を迎えた。仙山線の仙台駅 - 愛子駅の間にある駅は、開通当初から北仙台駅と陸前落合駅の2駅のみだったが、この年、この区間に請願駅として北山駅と国見駅が開業し、さらに仙台駅と愛子駅の間を往復する列車が設定された。これは、当時の仙台市北西部や宮城町において団地の開発が進んで住人が増え、通勤需要が生じたためである。この後、1988年(昭和63年)の東照宮駅、1991年(平成3年)の葛岡駅と、請願駅の開業が相次いだ。2000年代に入ると沿線の東北福祉大学が新駅設置に動き出し、JR東日本や仙台市と協議した。その結果、東北福祉大学が建設費を全額負担することで駅の設置が決まり、2007年(平成19年)3月18日に東北福祉大前駅が開業した。 急行列車だった「仙山」は1982年(昭和57年)に快速列車へと変わり、ダイヤ改正の度にしばしば増発が行われた。1985年(昭和60年)には仙台駅と山形駅をノンストップで結ぶ特別快速「仙山」1往復が登場した。1990年(平成2年)には設備の改良で最高速度が95 km/hに上がり、ノンストップ列車は仙台駅と山形駅を51分で結んだ。また、奥羽本線福島駅 - 山形駅間改軌工事の折、当該区間で列車運行が不可能であったことから、輸送力不足を補うために、455系電車9両編成によるノンストップの特別快速「仙山」の運転も見られた。しかし、1998年(平成10年)12月にノンストップの「仙山」はなくなり、これ以後、快速列車の停車駅は拡大していった。2001年(平成13年)には土曜・休日に途中停車駅を山寺駅と北仙台駅に限定した特別快速「ホリデー仙山」が誕生したが、2003年(平成15年)に廃止された。 バブル景気期以降、全線を通して乗車する利用客が減少傾向をみせる中、2004年(平成16年)からは、東北・山形自動車道経由で仙山間を結ぶ高速バス「仙台 - 山形線」の増発・運賃競争による旅客争奪戦も強いられてきた。仙山線はWきっぷで往復利用すれば高速バスよりも安価であり、価格優位性がある。また、沿線に立石寺(山寺駅)や作並温泉などの景勝地があるほか、仙台市内において複数の教育機関が所在していることもあり、近年では競合する高速バスとほぼ互角の利用客数となっている。加えて、大雪による運休が少ない仙山線は、冬季の運休が多く見られる山形新幹線のバイパス路線としても機能していることもあり、全線通しでの利用客数は下げ止まっている。 他方、愛子盆地の人口増加と国道48号仙台西道路のラッシュ時の混雑により、愛子盆地住民の都心部への自動車・バスによるアクセス時間が延びてきたため、定時性のある仙山線通勤の需要が高まっており、愛子や陸前落合などの仙山線開業時からの駅の利用客の増加(参照1・参照2)が顕著にみられ、仙台近郊輸送に重点を置いたダイヤが組まれている。なお、1999年(平成11年)策定の仙台市の「アクセス30分構想」に基き、仙台市のオムニバスタウン事業において両駅の駅前広場が整備された。
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