二区分説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 03:59 UTC 版)
佐々木孝浩は、大島本の一部の巻にのみ見える「宮河」なる印の有無に注目し、「宮河」なる印の有無と綴穴の多寡・筆跡や紙の違いなどが相関性を有するとして、現存する大島本は、 「宮河」印を捺されている巻(A群) 空蝉、末摘花、明石、澪標、蓬生、関屋、絵合、松風、薄雲、朝顔、玉鬘、初音、胡蝶、蛍、常夏、行幸、御法、橋姫、早蕨 「宮河」印を捺されていない巻(B群) 桐壺、帚木、夕顔、若紫、紅葉賀、花宴、葵、賢木、11花散里、須磨、少女、篝火、野分、藤袴、真木柱、梅枝、藤裏葉、若菜上、若菜下、柏木、横笛、鈴虫、夕霧、幻、匂宮、紅梅、竹河、椎本、総角、宿木、東屋、蜻蛉、手習、夢浮橋 のふたつに大きく分けることが出来るとし、現在の大島本は複数の祐筆によって飛鳥井雅康書写本「関屋」巻を含む諸本を書写したものであり、後にこれらを揃い本とした写本群であるという見解を提出した。 これに対して藤本孝一は、 「宮河」なる印は押してある場所もばらばらで押してある数も1箇のものから3箇のものまで認められる。このように「気ままに押してある。」としか見えないものを基準にすることには問題がある。 紙の質の異なり等は、その佐々木自身がわずかな時間観察しただけの印象を元に述べていることを認めており、詳細に調べた結果「宮河」なる印の有無に対応した「紙の質の異なり」は確認出来なかった。 音便の使い方などといった本文の質についても、大島本がいくつかのグループに分かれるというような事実は確認出来ないという結論を出した研究がすでに存在する。 筆跡の異なりについては「定家自筆本」の一部が「家中の少女を動員して書写させた」ために異なる筆跡のものが含まれるものも含めて「定家自筆本」とされているように、自分の指揮下にある複数の祐筆によって自分の目の届く範囲で書写が行われた場合でも「雅康筆」としてもおかしくないのが当時の常識である。 と反論した。両者の議論については#綴じ方も参照。
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