事業の選択と集中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:14 UTC 版)
昭和後期から平成初期にかけてのバブル景気のころは、新舞子・蒲郡など海辺を中心として沿線開発にもいっそう拍車がかかり、沖縄など遠隔地でもリゾート開発事業を手がけるなど、高度成長期と同様に手を伸ばせるだけ伸ばした感のあった名鉄グループであったが、新規事業は既存の事業の延長線上に展開された事例が多く、また、事業開発の面においては先発組より後発組に属することが多かった。このため、いわゆる「先行利得」を享受できたものはわずかであり、グループ内の事業規模(売上)は拡大したものの、利益面での貢献は期待したほどの成果をもたらすまでには至らなかった。 一方で、鉄軌道路線の整理縮減も再び開始され、1988年(昭和63年)に岐阜市内線の一部を廃止したのを皮切りに不採算路線の廃止を漸次進め、最終的には全営業路線の約5分の1に相当する路線の廃止を行った(「閑散線区の合理化・廃止」も参照)。これは、バブル後「失われた10年」による経済環境の厳しさに加えて、国鉄からJRへ移行したあとの猛烈な巻き返し(JR東海との旅客争奪戦)への対抗上、名古屋本線をはじめとする主要路線の設備投資に経営資源を集中させる必要と、収支悪化にともない不採算路線への内部補助(赤字補填)が利益を圧迫し始めた影響によるもので、全体の事業継続のためには廃止せざるを得ない路線に対して、沿線市町村との話し合いを行いつつ進められた。 1990年代のバブル崩壊後には非鉄道事業への投資が徐々に負担となり、事業の選択と経営資源(人材・資本など)の集中を余儀なくされた。手始めとして関連会社の整理・統合が行われ、グループ内で同様の事業を行っている会社同士を統合して間接費用(後方事務・管理部門など)の圧縮を試み、採算が悪化した事業(会社)の整理が行われた。 1999年(平成11年)3月期決算では名鉄総合企業の資金運用損失(株式譲渡損)180億円の計上をはじめ、文化レジャー事業やリゾート事業の収益低下により230億円の連結決算上の赤字となり、文化レジャー事業の一部施設の閉鎖が検討されるようになる。また、名鉄本体のスリム化に手をつけ、不採算路線の多いバス事業の分社化を積極的に進め、現在のバス事業をすべて分社化した形の基礎を築いた。 2002年(平成14年)9月には、不採算事業の撤退による固定資産売却損などの特別損失計上により、2003年(平成15年)3月期中間配当が1948年(昭和23年)10月期(半年間)決算以来55年ぶりの無配となる事態が発生。同3月期決算においては598億円の経常損失を計上し、55年ぶりに名鉄単体での赤字決算となった。これにより2003年(平成15年)1月に、不採算が続いた文化レジャー事業とバス事業を中心としたリストラ・事業分社化を柱とした2006年(平成18年)3月期までの経営合理化策を発表し、実行に移した。
※この「事業の選択と集中」の解説は、「名古屋鉄道」の解説の一部です。
「事業の選択と集中」を含む「名古屋鉄道」の記事については、「名古屋鉄道」の概要を参照ください。
- 事業の選択と集中のページへのリンク