予王以前の慶東国の人々
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「十二国記の登場人物」の記事における「予王以前の慶東国の人々」の解説
達王(たつおう) 王が長く玉座にいたためしがない波乱の国とされる慶で、その昔、300年以上という長期間の治世を誇った名君。倒れた大多数の王の例に漏れず、治世の末期には民を何重にも苦しめたものの、そうなるまでは安定した善政を布いた。達王の死後、慶は君主に恵まれず、特に近年の3代はことごとく無能な女王が続いて国が荒廃したため、慶には「達王を懐かしむ」という意味の懐達という言葉がある(男の王を懐かしむ、というニュアンスも含まれている)。水禺刀を作るなど、現在の慶に与えた影響も大きい。 悧王(りおう) 陽子から数えて4代前の王、治世68年。在位60年ごろには暴君へと変節し、他人への讒言にしか耳を貸さなくなり、官吏に対して辛く当たることが増えた。事あるごとに官吏を試すようになり、不可能とも思える難題を突きつけ、時には過度な忠誠の証を求めた。太子を何者かに暗殺されたのが豹変の理由だという説がある。 薄王(はくおう) 3代前の女王。治世16年。権に興味が無く、奢侈に走った。 比王(ひおう) 先々代の女王。治世23年。贅沢には興味を示さなかったが権力に執心し、自分の命令1つでどのようにも動く臣下を見て楽しんでいた。 予王(よおう) 声 - 藤田淑子 陽子の前の景王で、景麒の最初の王。姓名は舒覚(じょかく)、字は恩幸(おんこう)。商家の出身で、貴色は青。思慮深く心優しい女性で、決して玉座に値しない人柄ではなかったが、繊細かつ気弱で内気過ぎる性格であり、景麒は初見から王に向かない人だと感じていた。景麒の美しさに惹かれて玉座を受け入れた。 即位直後は王としての務めを真面目に果たそうとしたが、官吏たちの頑強な抵抗に国事への自信を無くし、王宮の奥に引きこもる。一見冷淡な景麒の言動に傷つくこともあった。彼女の求めた幸せは自分自身の人の女性としての凡庸な幸せであり、民を幸せにする事を考えなかった。後に泰麒との交流がきっかけで不器用な優しさを見せた景麒に恋心を抱き、嫉妬のあまり国中の女性を追い出そうとして国を傾けた。結果景麒は失道し、彼を救うために自ら退位し、蓬山で崩御して6年の治世を終えた。泉陵に葬られ、堯天に祀られている。 丕緒(ひしょ) 悧王即位の10年ほど後から、百数十年、5人の王に仕えている羅氏。その手腕から羅氏中の羅氏と周囲から賞賛されている。祖賢から受け継いだ「鵲は民を表す」という考えから、いつしか陶鵲に自分の思いを込めるようになり、景の民の苦しみを知ってもらおうと予王即位の大射の儀の際に、中に赤い玻璃を仕込み割れたときに血飛沫が飛ぶように見えるよう細工した陶鵲を誂えたのが、予王が引きこもる遠因となった。蕭蘭の考えを分かっている、と思い込んでいて、実は何も分かってやっていなかった。 祖賢(そけん) 丕緒が最初に仕えた射鳥氏。温厚かつどこか無邪気な老爺。「射鳥氏の中の射鳥氏」と呼ばれたが、悧王豹変後、突然捕縛され処刑された。 蕭蘭(しょうらん) 丕緒の馴染みの羅人だった女性。凌雲山の下へ梨を投げ込んでいる姿を見て丕緒は彼女がこの国を見ていない、と思い込んでいたが、実は現実を直視し羅氏の真のあり方以外何も考えていなかった。予王の女性追放令を悠長に捉えていたが、行方不明になる。 青江(せいこう) 蕭蘭の弟子。丕緒の馴染みの羅人。陶鵲に関する蕭蘭のアイディアを丕緒に伝える。 蓮花(れんか) 予王の女性追放令を女児を男装させ成人女性を隠す事で無視した街の出身。15歳になったばかりの春のある日、突然、故郷が軍に襲われ両親と妹を目の前で殺され孤児になる。そこから雁国に向かうべく、残った街の人達と共に青海航路のある麦州へ向かう途中で、幼馴染の明珠(めいじゅ)が入水自殺する。麦州との州境に近い建州の摂養で予王の崩御を聞いた一行が故郷に戻ろうとした際、「これ以上周囲に流されるのが嫌だ」とこの街に留まる事にし、現地の人の紹介で槐園の下働きになる。 嘉慶を筆頭とする槐園の住人達の浮世離れしたように見える生活に戸惑いながらも、それに慣れた矢先に摂養が舒栄配下の軍に襲われた事で、自分の辛い気持ちを思い出す。外の嵐に何もしようとしない嘉慶らを罵るが、自分の役目と出来る事が暦作りだけしかない、という嘉慶の返事に落ち着きを取り戻す。その後は嘉慶の配下の手伝いをしている。 嘉慶(かけい) 摂養郡の保章氏。五十代半ばほどの、とても鷹揚で優しい人物。気象と気候の観測所を兼ねた園林・槐園で、配下や下働きの者や数家族の農家と共に暦作りとその研究三昧の生活をしている。あまりにも職務に没頭しすぎるあまり、部下からの苦言や蓮花を絶句させる事(大量のセミの抜け殻を目に付く所に放置、など)がしばしばあった。自分の職務と世間に対して出来る事が暦作りしかない、という事と、同時にそれが市井にとって必要不可欠である事を自覚している。
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