予王以前の慶東国の人々とは? わかりやすく解説

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予王以前の慶東国の人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:39 UTC 版)

十二国記の登場人物」の記事における「予王以前の慶東国の人々」の解説

達王(たつおう) 王が長く玉座にいたためしがない波乱のとされる慶で、その昔300年以上という長期間治世誇った名君倒れた大多数の王の例に漏れず治世末期には民を何重に苦しめたものの、そうなるまでは安定した善政布いた達王死後、慶は君主恵まれず、特に近年3代ことごとく無能な女王続いて国が荒廃したため、慶には「達王懐かしむ」という意味の懐達という言葉がある(男の王を懐かしむ、というニュアンス含まれている)。水禺刀作るなど、現在の慶に与えた影響大きい。 悧王(りおう) 陽子から数えて4代前の王、治世68年在位60年ごろには暴君へと変節し他人への讒言にしか耳を貸さなくなり官吏に対して辛く当たることが増えた事あるごとに官吏を試すようになり、不可能とも思える難題突きつけ時には過度な忠誠の証を求めた太子何者かに暗殺されたのが豹変理由だという説がある。 薄王はくおう3代前の女王治世16年興味無く奢侈に走った比王(ひおう) 先々代女王治世23年。贅沢には興味を示さなかったが権力執心し自分命令1つどのようにも動く臣下見て楽しんでいた。 予王(よおう) 声 - 藤田淑子 陽子の前の景王で、景麒の最初の王。姓名は舒覚(じょかく)、字は恩幸おんこう)。商家出身で、貴色は青。思慮深く心優しい女性で、決し玉座値しない人柄ではなかったが、繊細かつ気弱内気過ぎる性格であり、景麒は初見から王に向かない人だと感じていた。景麒の美しさ惹かれ玉座受け入れた即位直後王として務め真面目に果たそうとしたが、官吏たちの頑強な抵抗国事への自信無くし王宮の奥に引きこもる一見冷淡な景麒の言動に傷つくこともあった。彼女の求めた幸せ自分自身の人の女性として凡庸な幸せであり、民を幸せにする事を考えなかった。後に泰麒との交流きっかけ不器用な優しさ見せた景麒に恋心抱き嫉妬のあまり国中女性追い出そうとして国を傾けた結果景麒は失道し、彼を救うために自ら退位し蓬山崩御して6年治世終えた泉陵葬られ、堯天に祀られている。 丕緒(ひしょ) 悧王即位10年ほど後から、百数十年、5人の王に仕えている羅氏その手腕から羅氏中の羅氏周囲から賞賛されている。祖賢から受け継いだは民を表す」という考えから、いつしか陶鵲自分思い込めるようになり、景の民の苦しみ知ってもらおうと予王即位大射の儀の際に、中に赤い玻璃仕込み割れたときに血飛沫飛ぶよう見えるよう細工した陶鵲誂えたのが、予王が引きこもる遠因となった蕭蘭考え分かっている、と思い込んでいて、実は何も分かってやっていなかった。 祖賢(そけん) 丕緒最初に仕えた射鳥氏温厚かつどこか無邪気な老爺。「射鳥氏の中の射鳥氏」と呼ばれたが、悧王豹変後、突然捕縛され処刑された。 蕭蘭しょうらん丕緒馴染み羅人だった女性凌雲山の下へ投げ込んでいる姿を見て丕緒は彼女がこの国を見ていない、と思い込んでいたが、実は現実直視し羅氏真のあり方以外何も考えていなかった。予王の女追放令悠長に捉えていたが、行方不明になる。 青江せいこう蕭蘭弟子丕緒馴染み羅人陶鵲に関する蕭蘭アイディア丕緒伝える。 蓮花(れんか) 予王の女追放令女児男装させ成人女性を隠す事で無視した街の出身15歳になったばかりの春のある日、突然故郷が軍に襲われ両親と妹を目の前で殺され孤児になる。そこから雁国に向かうべく、残った街の人達と共に青海航路のある麦州へ向かう途中で幼馴染明珠(めいじゅ)が入水自殺する。麦州との州境に近い建州摂養で予王の崩御聞いた一行故郷戻ろうとした際、「これ以上周囲流されるのが嫌だ」とこの街留まる事にし、現地の人の紹介園の下働きになる。 嘉慶筆頭とする園の住人達浮世離れしたように見える生活に戸惑いながらも、それに慣れた矢先摂養が舒栄配下の軍に襲われた事で、自分の辛い気持ち思い出す。外の嵐に何もしようとしない嘉慶らを罵るが、自分役目出来る事が暦作りだけしかない、という嘉慶返事落ち着き取り戻す。その後嘉慶配下の手伝いをしている。 嘉慶(かけい) 摂養郡の保章氏五十代半ばほどの、とても鷹揚優しい人物。気象気候観測所兼ねた園林園で、配下下働きの者や数家族の農家と共に作りとその研究三昧の生活をしている。あまりにも職務没頭しすぎるあまり、部下からの苦言蓮花絶句させる事(大量セミの抜け殻を目に付く所に放置、など)がしばしばあった。自分職務世間に対して出来る事が暦作りしかないという事と、同時にそれが市井にとって必要不可欠である事を自覚している。

※この「予王以前の慶東国の人々」の解説は、「十二国記の登場人物」の解説の一部です。
「予王以前の慶東国の人々」を含む「十二国記の登場人物」の記事については、「十二国記の登場人物」の概要を参照ください。

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