予知の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 21:05 UTC 版)
力武常次によれば、海城地震の地震予知成功の背景には、長期予測により数年前から観測や準備が強化されていたことや、宏観異常現象を含めて前兆が数か月前と早期から発生していたことに加えて、はっきりとした前震が現れたこと、中国の政治体制のおかげで前兆の観測や報告が組織的に大規模に行われ、情報統制や避難が計画的に行われたことが挙げられる。力武は現地で担当者と意見交換を行ったが、地震の発生地域を特定するための根拠や法則が明確ではなかったといい、日本など諸外国にも適用できるような手法とは考えづらいとしている。 石川有三によると、1970年代にはこうした予知活動が盛んで、特にボランティア的な無償のものが多かった。海城地震の前、1973年に四川省馬辺イ族自治県で起きたM5.8の地震(四川馬辺地震)でも、直前に警報が出されて避難が行われたという。なお、改革開放による1990年代の市場経済化や財政改革によりボランティアは大きく減少し、地震活動や電磁気などの観測は公的機関の管轄に移行している。 Kelin Wangらは、予知は前震に頼るものであり、それ以前に中長期的に予知されていたとして伝えられている話にも疑問点があることを指摘している。1975年1月中旬に国家地震局の会議で「M6クラスの地震が"1-2カ月以内"に発生する可能性がある」ことが指摘され、これが海城地震が「短期予知された」根拠だと伝える資料があるが、正確には「M6クラスの地震が"1975年前半、場合によっては1-2カ月以内"に発生する可能性がある」ことが指摘されたにとどまり、中期予知の範疇であった。また、地震当日深夜の遼寧省地震弁公室の報告では地震が発生する時期について具体的に明言されておらず、予知の3要素(場所・時間・規模)を満たしていなかった。こうしたことから夏新宇(Chen Qi-Fu)は、遼寧省が地震当日朝に発令した臨震警報の根拠は、豊富な前震活動に依存したものだったと指摘している。中国の地震予知事業のきっかけである1966年邢台地震において、活発な前震→静穏化→大地震というパターンが観測されていたことも、前震による危機感を強める原因となった。そもそも、前日から当日までの活発な前震活動は住民も体感しており、地鳴りを伴った地震が続いて眠れなかった住民もいたほどと伝えられ、大きな地震の発生を恐れて自主的に避難する者もいたという。 また、1年半後にこの地震の震源から約200km離れた唐山市付近を震源として発生した唐山地震では、臨震警報は出されず、20万人を超える犠牲者が出ることとなった。唐山地震では、水準測量やラドン濃度などの前兆はあったものの、その分布が不規則で震源域の特定に至らなかったことや、前震がなかったことが予知できなかった原因とされている。その後も2008年の四川大地震など被害地震が発生しているが、予知の成功例はほとんどなく、中国においても世界と同様に地震予知は未だ困難とされている。
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