九龍半島攻略とは? わかりやすく解説

九龍半島攻略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 20:38 UTC 版)

香港の戦い」の記事における「九龍半島攻略」の解説

1941年12月8日朝、真珠湾攻撃同時刻に第23軍飛行隊は啓徳飛行場イギリス軍機に対して航空第一撃加えた開戦命令電文は「ハナサク・ハナサク」という暗号であったイギリス軍は対応が遅れ、啓徳空港この際攻撃されマニラから到着したばかりのパンアメリカン航空シコルスキー S-42はじめとする航空機日本軍破壊され空軍機と義勇軍使用民間機航空会社民間機あわせて12機が炎上、2機が大破し飛行機失ってしまった。 同日第23軍各部隊順次国境突破して前進した酒井軍司令官九龍要塞ジン・ドリンカーズ・ライン主陣地への組織的攻撃意図し各部隊準備命じた攻撃発起までの準備期間としては1週間程度予定されていた。 ところが9日夜、第38師団戦闘指揮所へ、歩兵228連隊から「標高二五五ニ拠リ頑強抵抗スル敵ニ対シ夜襲奮戦三時ニシテ二三三〇之ヲ占領セリ」という内容を含む電報届いた歩兵228連隊長土井七大佐は後方敵情地形偵察していたが、城門貯水池南側高地対す夜襲考えた南側地区自己連隊責任外地であったが、土井連隊長は、イギリス軍に隙があるのならば、奇襲をもって敵陣地を奪取したいとの願望密かに抱いていた。 9日夜、土井連隊長第3大隊夜襲決行命じた20時30分若林東一中尉率いる第10中隊255高地イギリス軍陣地突入し3時間の戦闘の末これを奪取した土井連隊長独断専行知った佐野師団長以下師団司令部激しく動揺し後退命じたものの、土井連隊長司令部からの電話切ってしまった。若林中隊はさらに前進し10日1時には341高地まで占領した酒井軍司令官急報聞き激怒したが、この際この機に乗じて所定準備期間を待つことなく攻撃開始しよう決断した。第1砲兵隊準備未了の状態であった10日午後から砲撃開始しイギリス軍主要な砲兵陣地制圧右翼歩兵第230連隊11日未明から攻撃前進始め同日昼までにジン・ドリンカーズ・ライン西側の主防衛線である366高地256高地占領した11日12時イギリス軍香港島への撤退発令した九龍半島での掃討戦13日までに終了した開戦前日本軍では九龍半島攻略に数週間見込んでいたが、実際に要した日数開戦後わずか6日であった日本軍戦死22名、戦傷121名。イギリス軍遺棄死体165捕虜49名を数えた軍司令部では、土井連隊長独断専行について軍法会議付すべきとの声もあがったが、「若林中尉が、前線偵察中に偶然敵兵配備欠陥警戒の虚を発見し挺進敵陣地に突入しこれを奪取した」とすることで収拾図られ支那派遣軍総司令部および大本営報告された。若林中尉には後に感状授与され、「斥候中の挺進奪取」という話は流布した。若林中尉1943年1月ガダルカナル島戦死した

※この「九龍半島攻略」の解説は、「香港の戦い」の解説の一部です。
「九龍半島攻略」を含む「香港の戦い」の記事については、「香港の戦い」の概要を参照ください。

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