主権回復後の全国整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 22:17 UTC 版)
昭和20年代、30年代は限られた回線数、電話普及率および交換台を経由しての通話など概して電話事情が悪かった。また、模写電送を短波帯からより安定した伝送路に切り換えたい要請、そして何よりも、非常災害時においても全国的通信網を確保すべき重要使命が課せられていることから、警察自営の通信回線を整備することが重要な課題であった。 初の第一級回線(一級線とは警察庁と各管区警察局及び管区警察局相互間を結ぶもの)として東京・大阪間の整備がなされた。 「昭和29年(1954年)10月1日 東京、大阪間超短波(80MHz)多重式市外電話6回線開通 (内2回線は文書伝送用)。交換手ダイヤルによって運用開始」により無線回線を使った長距離電話通話が、交換台経由ながら利用可能となった。 ついで1956年(昭和31年)大阪-広島-福岡間に、1958年(昭和33年)には70MHz帯で東京-仙台-札幌間に、1960年(昭和35年)には70MHz帯で大阪-高松間が開通し全国縦断無線多重回線が構成された (80MHz帯は郵政省(当時)の方針で70MHz帯に変更された)。 しかし 70MHz帯では回線の拡張に限界があることと都市雑音の増加による通話品質低下のため、2GHz帯のマイクロ多重無線に引き継がれることとなる。 2GHz帯のマイクロ多重無線は1958年(昭和33年)、東京-名古屋-大阪間の一級線で開通し即時通話が可能となった。。 「警察電話は、一級線系のマイクロ多重自動即自化は(昭和)40年(1965年)度をもって完成した」。一級線とは本庁と管区警察局間を結ぶ回線。 「昭和41年10月 四国及び北海道の一級線多重通信回線が開通し、警察庁と全国各都道府県(方面)本部との間に、直通データ伝送回線が完成」という記述もあり、若干の時間的差異がみられる。施設完成と実利用開始の差異と思われる。 二級線(管区警察局と配下の都府県および方面本部を結ぶ回線)のマイクロ多重化および自動即時接続化は一級線系と並行して行われ1957年(昭和32年)に2600Mc帯 PPM方式により大阪-神戸間がはじめて開通、ついで1960年(昭和35年)大阪-京都回線が2000Mc帯で開通した。大阪-京都間は山岳回折波を利用したO/H高感度受信方式を採用した。1962年(昭和37年)には東京-浦和・千葉回線が、1968年(昭和38年)には東京-横浜・宇都宮・前橋・水戸の各回線、大阪-和歌山が開通 (大阪-和歌山は京都同様のO/H 高感度受信方式により開通)。1967年までに22区間が完成。地形および置局の都合上2GHz帯での回線構成が困難な場合には350MHz帯の多重回線が使用された。1964年(昭和39年) には東京-静岡、名古屋-岐阜・津、大阪-奈良、京都-大津の各回線が350MHz帯を使用した二級線で開設された。同年2GHz帯で広島-岡山回線を1級線分岐で開通。「2級線マイクロ多重新設3か年計画」により昭和41(1966)年度も四国及び九州にて拡充された。 こうして敷設された多重通信網は電話のみならず、それまで短波帯を使っていた伝送模写(いわゆるファックス)などでも利用されることとなった。 マイクロ多重回線の全国展開完了に伴い、前掲の「昭和42年6月 中短波無線電話局の廃止並びに短波通信系の再編を計画」の短波通信系の再編が行われた。以後、短波通信回線は非常時などの予備通信経路としての位置づけとなっていく。これ以降、マイクロ多重回線は更に高い周波数帯を使った広帯域・高速化、スター方式からループ方式を採用した耐障害性の向上、デジタル変調方式の採用、IP化へと進化していく。
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