主権争いの経過
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1980年以後、フィリピン政府はスカボロー礁を200海里排他的経済水域内とした。 1997年、フィリピンが軍艦と軍用機を出動して中華民国の民間組織のラジオ局による領海侵犯を追跡、監視する。 1997年4月30日、フィリピンの2人の衆議院議員が軍艦に乗って上陸、旗と碑を立てる。 1998年1月から、中国海南省の4艘の漁船が2か月間に領海侵犯してフィリピン海軍に拿捕され、51名の漁民がフィリピンに半年間拘禁される。 1999年5月23日、フィリピン軍と中国の漁船が衝突。中国外交部スポークスマンはフィリピンへ抗議し、交渉を呼びかけた。 1999年6月、フィリピン教育部は新しい地図の中で、スカボロー礁と南沙諸島を版図へ入れた。8月、フィリピン政府は「南沙諸島はフィリピン領土」である旨の憲法改正を行った[要出典]。 1999年11月3日、フィリピン海軍の1艘の艦船がスカボロー礁のパトロール中に座礁。フィリピンは艦船は救援参加時に故障が発生したと発表。中国は座礁した艦船の撤去を求め、フィリピン側はすぐに撤去した。 2000年、フィリピン海軍が領海侵犯した中国の漁船船長を射殺した。 2012年4月8日、フィリピン海軍がスカボロー礁近くに中国の漁船8隻が停泊しているのを発見し拿捕したのを受け、中国監視船が現場に急行、フィリピン海軍の進行を阻止し、睨み合う状況となる、いわゆる「スカボロー礁事件(中国名: 黄岩島事件)」と呼ばれる事態が発生する。17日にフィリピンのデル・ロサリオ外相は国際海洋裁判所に判断を仰ぐ提案をしたが、中国外交部辺海局の鄧中華局長はこれに対し抗議を申し入れている。 2012年9月3日、人民日報(海外版)は、中国国家海洋局がスカボロー礁(黄岩島)、西沙諸島と尖閣諸島の周辺海域を人工衛星や航空機で遠隔監視する「海域動態監視観測管理システム」の範囲内に組み込んだと報じた。 2013年6月6日にフィリピン軍関係者が、中国がスカボロー礁に軍事施設を建設していることが衛星写真によって明らかになったと発言。少なくとも3隻の大型船舶がスカボロー礁に相次ぎ訪問しているほか、大量の中国漁船がセメント、鉄筋、石などの建材を運び込んでいるとのこと。 2013年9月3日、フィリピン国防省は、中国が約30個のコンクリートブロックを設置していることを発表。 2014年2月25日にスカボロー礁付近で中国監視船がフィリピン漁船に放水して駆逐したことで、フィリピンで中国に対する反発が高まる。
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