中王国時代の遺構
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エジプトの再統一によって各地の採石場が使用可能になり、労働力の大量投入も容易になったことから中王国時代には大規模建築が活発に行われている。テーベ近郊のデイル・アル・バハリに作られたメンチュヘテプ2世葬祭殿はその最初を飾る偉大な建造物である。 また、第1中間期から続く中王国時代の建造物の大きな特徴は、各地の州侯が造らせた大型の墳墓である。第1中間期に勢力を拡大した州侯達は、エジプトの統一後もしばらくの間大きな権力を維持しており、第12王朝は「州侯の時代」ともいわれる。そして第1中間期の「葬祭の民主化」はエジプトの哲学と宗教に重大な変化を及ぼし、その変化は葬祭慣行にも影響を及ぼした。各種の模型の埋葬は中王国における私人の埋葬の特徴であり、生活に必要な物が死後においても準備されるのを確実にするためのものであった。このような模型は細やかな描写がされているおかげで、当時の技術や生活について多くの情報を提供している。 メンチュヘテプ2世の葬祭殿 テーベ近郊のデイル・アル=バハリに作られた。内部からメンチュヘテプ2世の坐像やアラバスター製の石棺などが発見されているが、石棺の中は見つかった時には空であった。ナイル河畔の耕作地帯から1kmを超える斜道が神殿まで続き、中央の大基壇、断崖の地下深くに作られた埋葬室などが発見されている。またこの葬祭殿の周囲には彼の王妃や臣下達も埋葬されており、世界初の戦没者墓地などもある。 ケンジェル王のピラミッド 中王国時代には古王国以来のピラミッド建造が復活している。この時代に建てられたピラミッドは、古王国のそれと比較して安価であることが重視されており、その脆弱な構造のために多くの場合崩壊してしまっている。ケンジェル王は第13王朝の王である。時代的には中王国とも第2中間期とも分類されることのある時代であるが、ケンジェル王のピラミッドは中王国時代に継続して行われていたピラミッド建設の最後の例として重要である。このピラミッドは古代エジプトのピラミッドのうち現存する最後のもので、サッカラに比較的良好な保存状態で残されている。 宰相メケトラーの墓 メケトラーはメンチュヘテプ2世時代の宰相の1人である。彼の墓はメンチュヘテプ2世の墓の周辺に、他の家臣などの墓とともに造営されていた。彼の墓からは大工工房や漁師の帆掛け舟、畜牛頭数調査など、当時の日常生活を描写した精緻な木造彫刻が発見されており、日常生活を知る上で一級の史料を提供している。 エレファンティネ州侯サレンプウトの墓 サレンプウトはセンウセルト1世時代のエレファンティネ(現在のアスワン)の州侯である。エレファンティネ島を望む崖の中腹に彼の豪華な墓が残されている。彼の立身出世を子孫たちが忘れることのないように、彼の自伝が墓に刻まれている。その中で彼は自らの出世、功績、王からの寵愛を記録し、永遠の来世への期待を綴っている。 センウセルト1世のオベリスク センウセルト1世がヘリオポリスに建立したオベリスク。彼のセド祭のために二本建てられたうちの片方が現在でも残っている。これは立ったまま現存するオベリスクとしては最古の物である。 カフン遺跡 カフンの住居跡は、古代エジプト時代の町の遺跡の中でも最も保存状態の良いものの1つである。この町は第12王朝のセンウセルト2世がアル・ラフーンにピラミッドを築いた時に、建設にあたる労働者が住んだ町である。古代エジプト時代にはヘテプ・センウセルトと呼ばれた。全体は東西391m、南北350mの外壁に囲まれており、多種多様な住居跡が発見されている。最も小さいタイプの住居跡は面積10平方m、部屋数2つのタイプのものであり、最も大きいものでは中庭を囲む2400平方mの邸宅などが発見されている。この町は、ある時点で突如放棄されたらしく、多くの遺物がそのまま残されていた。なお、遺跡の南半分は耕作地にされ破壊されてしまっているが、それでも極めて貴重な遺跡であることには変わりない。 ブヘン遺跡 ブヘンは第12王朝のセンウセルト3世がヌビア地方の守りのために築いた要塞の遺跡である。全体を分厚い日干し煉瓦の城壁が2重に取り巻く大要塞であった。遺跡の一部はアスワン・ハイ・ダムの建設のために現在ナセル湖の湖底に沈んでいる。
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