中王国時代の中庭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:05 UTC 版)
至聖所と祝祭殿の間には中庭(中央中庭)があり、この区域はかつて最も古い神殿があった場所で、後に石材として構造物が解体される前には、中王国時代の神殿の中心部として至聖所が位置したと考えられる。ここは一段低く礎石が残存し、方解石ないしアラバスターの石板が認められる。
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