中日GM時代とは? わかりやすく解説

中日GM時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 12:58 UTC 版)

落合博満」の記事における「中日GM時代」の解説

2012年日刊スポーツ評論家復帰した解説者としてはフリー。初解説2012年4月15日甲子園行われた阪神対中日のテレビ中継だった(メ〜テレ制作)。 8月顔面麻痺発症し病院緊急搬送されたが間もなく退院する以後は、治療続けながら講演野球中継ゲスト解説などを行っていた。 2013年10月9日中日球団新設されゼネラルマネージャーへの就任発表された。当初顧問役を打診されたが自らGM職を提案し推定年俸8000万円契約したGM就任後に初め実施された、選手との契約更改では、退団し巨人移籍した井端弘和と、FA宣言ソフトバンク移籍した中田賢一を除く中日選手年俸提示同意し、総年俸から総額推定8億円超のコストカット実現した中日オーナー白井文吾は、球団フロントに対して与えられ予算内での年俸抑制を、以前から求めていた。ところが、好成績残した選手実績のあるベテラン提示額を不満とすると、何がしかの「イロ」をつける、いわゆるゴネ得」を許す悪しき風習をなかなか断ち切れなかった。契約更改が終わると、結果的に予算オーバーという展開が繰り返されてきた。落合は、「自分編成責任者になって全て任せてくれたら、年俸削減もできる。それにはGMがいい」と提案した白井は、監督時代有無を言わさない統率力見てきたこともあり、落合GMに就任させた。 しかし、こうした経緯から明らかなように、GM時代落合は、大金投じた大型補強実施することが難しかった他球団実績のある捕手嶋基宏当時楽天)、炭谷銀仁朗当時西武)を、FA獲得する可能性中日調査したとの報道があったが、いずれも実現していない。 (以下の記事述べ選手一軍通算成績は、いずれも2020年までのデータである。) 2014年ドラフト会議では、即戦力重視方針で、指名した9人(育成選手を除く)全員が、大学社会人独立リーグ出身者だった。ドラフト直前報道によると、中日1巡目候補として、当時目玉選手だった、有原航平早稲田大学日本ハム、4球団競合)、山崎康晃亜細亜大学DeNA2球競合)などをリストアップしていた。落合が、山崎イチ押ししたとの報道もあった。しかし結果的に中日は、複数球団による競合必至候補回避し野村亮介三菱日立パワーシステムズ横浜)を単独指名した野村は、一軍では未勝利で、2017年引退し中日打撃投手転身した2014年中日獲得したドラフト1-4巡目の選手は、2020年までに全員引退した一方で、5巡目の加藤匠馬2021年ロッテトレード)は、126試合56安打打率.213、0本塁打14打点。6巡目の井領雅貴は、178試合69安打打率.226、1本塁打25打点。7巡目の遠藤一星は、293試合118安打打率.242、8本塁打43打点で、下位指名選手のほうが活躍する結果となった2015年ドラフト会議前段階落合は、今永昇太駒澤大学)の1巡目指名主張した。しかし、白井オーナーなどは、球団地元中京圏注目選手だった髙橋純平岐阜県立岐阜商業高等学校)の指名主張した結果的に、今永はDeNA単独指名獲得した髙橋は、中日ソフトバンク日本ハムの3球団指名しソフトバンク獲得した外れ指名では、小笠原慎之介東海大学付属相模高校)を、中日日本ハム2球団が指名し中日獲得したプロ入り後の成績は、今永103試合4137敗、防御率3.52。小笠原65試合1624敗、防御率4.19。髙橋46試合3勝2敗17ホールド防御率3.17である。落合イチ押ししていた今永が、DeNA活躍した一方で中日にとっては、最初に指名した髙橋よりも、外れ指名小笠原のほうが活躍する結果となった2015年ドラフトにおける中日は、1巡目では高校生指名したが、2~6巡目では大学社会人指名しており、この点では前年と同じ傾向だった。2巡目佐藤優は、90試合5勝2敗5セーブ17ホールド防御率4.34。3巡目の木下拓哉は、203試合、110安打打率.239、10本塁打48打点。4巡目の福敬登は、138試合、8勝7敗2セーブ47ホールド防御率3.54。5巡目の阿部寿樹は、308試合263安打打率.268、21本塁打130打点である。 2016年ドラフト会議1巡目指名では、田中正義創価大学)に5球団競合してソフトバンク獲得。その外れ指名では佐々木千隼桜美林大学)に5球団競合しロッテ獲得した中日DeNAは、柳裕也明治大学)を指名し中日獲得したプロ入り後の成績は、2023敗・防御率3.93、佐々木6勝8敗・防御率3.92、田中0勝1敗・防御率8.16である。最も競争倍率高かった田中は、故障相次いでプロ入り後は伸び悩み佐々木年ごと成績の波が大きいのに対して倍率低かったのほうが安定的に活躍する結果となった2016年ドラフトで、中日2巡目獲得した京田陽太日本大学)は、プロ1年目2017年新人王獲得した落合GM務めていた頃に、中日ドラフト獲得した選手は、2014年不作だったが、20152016年のほうが豊作傾向だった。1巡目獲得した投手では、小笠原慎之介柳裕也が、のちに先発投手陣の成長した。しかし、短期的なチーム成績では低迷し2016年中日は、19年ぶりの最下位になった同年12月20日球団契約切れとなる2017年1月限り退任する発表した2018年からは、フリー野球解説者として活動再開した

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