中日GM時代
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2012年、日刊スポーツ評論家に復帰した。解説者としてはフリー。初解説は2012年4月15日に甲子園で行われた阪神対中日のテレビ中継だった(メ〜テレ制作)。 8月、顔面麻痺を発症し、病院に緊急搬送されたが間もなく退院する。以後は、治療を続けながら講演や野球中継のゲスト解説などを行っていた。 2013年10月9日、中日球団に新設されたゼネラルマネージャーへの就任が発表された。当初は顧問役を打診されたが自らGM職を提案し、推定年俸8000万円で契約した。 GM就任後に初めて実施された、選手との契約更改では、退団して巨人に移籍した井端弘和と、FA宣言でソフトバンクに移籍した中田賢一を除く中日選手は年俸提示に同意し、総年俸から総額推定8億円超のコストカットを実現した。中日オーナーの白井文吾は、球団フロントに対して、与えられた予算内での年俸抑制を、以前から求めていた。ところが、好成績を残した選手や実績のあるベテランが提示額を不満とすると、何がしかの「イロ」をつける、いわゆる「ゴネ得」を許す悪しき風習をなかなか断ち切れなかった。契約更改が終わると、結果的に予算オーバーという展開が繰り返されてきた。落合は、「自分が編成の責任者になって全てを任せてくれたら、年俸の削減もできる。それにはGMがいい」と提案した。白井は、監督時代の有無を言わさない統率力を見てきたこともあり、落合をGMに就任させた。 しかし、こうした経緯から明らかなように、GM時代の落合は、大金を投じた大型補強を実施することが難しかった。他球団で実績のある捕手の嶋基宏(当時は楽天)、炭谷銀仁朗(当時は西武)を、FAで獲得する可能性を中日が調査したとの報道があったが、いずれも実現していない。 (以下の記事で述べる選手の一軍通算成績は、いずれも2020年までのデータである。) 2014年ドラフト会議では、即戦力重視の方針で、指名した9人(育成選手を除く)全員が、大学・社会人・独立リーグ出身者だった。ドラフト直前の報道によると、中日は1巡目候補として、当時の目玉選手だった、有原航平(早稲田大学→日本ハム、4球団競合)、山崎康晃(亜細亜大学→DeNA、2球団競合)などをリストアップしていた。落合が、山崎をイチ押ししたとの報道もあった。しかし結果的に中日は、複数球団による競合が必至の候補を回避し、野村亮介(三菱日立パワーシステムズ横浜)を単独指名した。野村は、一軍では未勝利で、2017年に引退し、中日の打撃投手に転身した。2014年に中日が獲得したドラフト1-4巡目の選手は、2020年までに全員が引退した。 一方で、5巡目の加藤匠馬(2021年にロッテへトレード)は、126試合、56安打、打率.213、0本塁打、14打点。6巡目の井領雅貴は、178試合、69安打、打率.226、1本塁打、25打点。7巡目の遠藤一星は、293試合、118安打、打率.242、8本塁打、43打点で、下位指名の選手のほうが活躍する結果となった。 2015年ドラフト会議の前段階で落合は、今永昇太(駒澤大学)の1巡目指名を主張した。しかし、白井オーナーなどは、球団の地元・中京圏の注目選手だった髙橋純平(岐阜県立岐阜商業高等学校)の指名を主張した。結果的に、今永はDeNAが単独指名で獲得した。髙橋は、中日、ソフトバンク、日本ハムの3球団が指名し、ソフトバンクが獲得した。外れ指名では、小笠原慎之介(東海大学付属相模高校)を、中日、日本ハムの2球団が指名し、中日が獲得した。プロ入り後の成績は、今永103試合41勝37敗、防御率3.52。小笠原65試合16勝24敗、防御率4.19。髙橋46試合3勝2敗17ホールド、防御率3.17である。落合がイチ押ししていた今永が、DeNAで活躍した一方で、中日にとっては、最初に指名した髙橋よりも、外れ指名の小笠原のほうが活躍する結果となった。 2015年ドラフトにおける中日は、1巡目では高校生を指名したが、2~6巡目では大学・社会人を指名しており、この点では前年と同じ傾向だった。2巡目の佐藤優は、90試合5勝2敗5セーブ17ホールド、防御率4.34。3巡目の木下拓哉は、203試合、110安打、打率.239、10本塁打、48打点。4巡目の福敬登は、138試合、8勝7敗2セーブ47ホールド、防御率3.54。5巡目の阿部寿樹は、308試合、263安打、打率.268、21本塁打、130打点である。 2016年ドラフト会議の1巡目指名では、田中正義(創価大学)に5球団が競合してソフトバンクが獲得。その外れ指名では佐々木千隼(桜美林大学)に5球団が競合し、ロッテが獲得した。中日とDeNAは、柳裕也(明治大学)を指名し、中日が獲得した。プロ入り後の成績は、柳20勝23敗・防御率3.93、佐々木6勝8敗・防御率3.92、田中0勝1敗・防御率8.16である。最も競争倍率が高かった田中は、故障が相次いでプロ入り後は伸び悩み、佐々木は年ごとの成績の波が大きいのに対して、倍率が低かった柳のほうが安定的に活躍する結果となった。 2016年ドラフトで、中日が2巡目で獲得した京田陽太(日本大学)は、プロ1年目の2017年に新人王を獲得した。 落合がGMを務めていた頃に、中日がドラフトで獲得した選手は、2014年は不作だったが、2015、2016年のほうが豊作の傾向だった。1巡目で獲得した投手では、小笠原慎之介、柳裕也が、のちに先発投手陣の柱に成長した。しかし、短期的なチーム成績では低迷し、2016年の中日は、19年ぶりの最下位になった。同年12月20日、球団は契約切れとなる2017年1月限りで退任すると発表した。2018年からは、フリーの野球解説者として活動を再開した。
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