中国型社会主義の時代と法(1949年から1978年)
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「中国法制史」の記事における「中国型社会主義の時代と法(1949年から1978年)」の解説
共和国政府は、中国本土全域における実効支配を確立した後、1954年にソビエト連邦などの共産圏の先行例を参照して最初の「中華人民共和国憲法」(54年憲法)を制定するなど、ソビエト連邦法(大陸法圏に属する)を手本とした法制度の整備を進めた。1954年9月20日、第1期全国人民代表大会の第1次会議において「中華人民共和国憲法」(54年憲法)が採択され、即日公布された。ソ連の1936年憲法(いわゆるスターリン憲法)を範にとるが、前提となる中国社会自体がまだ社会主義段階に到達していないので、社会主義への過渡期という歴史段階に対応する社会主義型の憲法として成立した。同時に社会主義建設という目標と中共の指導的地位を明示し、「共同綱領」の時期まで維持されてきた人民民主統一戦線体制に事実上終止符をうち、新たに中共による一党独裁制を成立させた。すなわち、54年憲法は、「共同綱領」と同じく、中華人民共和国を「労働者階級が指導し、労農同盟を基礎とする人民民主主義の国家」と規定しつつ、「共同綱領」にある「新民主主義」は削除した。なぜなら、それはもはや「民主的諸階級(中略)を結集した人民民主主義独裁」ではなく、社会主義の実現を目指して階級を廃絶するための「人民民主主義独裁」でなければならなかった。したがって「共同綱領」が「労働者・農民・小ブルジョアジーおよび民族ブルジョアジーの経済的利益とその私有財産制を保護し、新民主主義の人民経済を発展させ」るとしていたのに対し、同54年憲法は「社会主義的工業化と社会主義的改造を通じて、搾取制度の漸次的消滅と社会主義社会の建設を保障する」と規定して、社会主義化の方向を明確に打ち出した。ただし、この社会主義への過渡期においては、「資本主義的工業に対して、利用・制限・改造の政策をとり」として、一定期間内の買戻しを実施し、その間は「資本家の生産手段の所有権およびその他の資本の所有権を保護する」と規定した。したがって所有制としては、全人民所有制の国営経済が国民経済の指導力であり、「国家は国営経済の優先的発展を保障する」としていた。建国当初は、上述解放区で実践されていた法制度を引き継ぐ、三大立法(婚姻法、土地改革法、労働組合法)に代表される立法が行われた。全体的には社会主義法=ソ連法の影響を強く受けた立法や司法及び法学が志向された。しかし、その後の急進的な社会主義改造、反右派闘争や大躍進等の政治運動に翻弄された結果、三大立法と54年憲法の制定を除いて目立った成果は上げられなかった。この時期は経済調整期といわれ、1950年代中期以降の急進的な社会主義運動のリバウンド期でもあり、民法、刑法、刑事訴訟法等の起草作業が活発に行われたもののいずれも成果に結び付かなかった。1957年6月の反右派闘争に始まる文化革命期には、「プロレタリアート独裁」の理念から導かれた「中共の国家に対する優位」が強調され、法秩序よりも中共の政策が優先された。「政策は法の塊である」、「無法無天」、「造反有理、革命無罪」等のスローガンに代表される徹底した法ニヒリズム(法を軽視する傾向)が蔓延した。「大衆独裁」の名のもとに如何なる司法手続も踏むことなく人身の自由が侵害されたり、裁判所、検察院、警察が廃止されて「軍事管制委員会」に統合されたりする等、司法制度全体が著しく破壊された。大学も封鎖され法学教育や法学研究も10年間の空白時期を迎えた。そして54年憲法も実態に合わなくなっていた。まず、54年憲法では、社会主義建設を目指す過渡期の国家として自らを位置付けていたが、1956年に所有制の社会主義的改造を完了して社会主義に移行したことにより、この位置付けが実態に合わなくなっていた。また1960年に中ソ対立が決定的となりソ連モデルの憲法の空文化がもたらされた。しかし、文化大革命期の不安定な政治的環境と法的ニヒリズムが強まる中、憲法の改正は容易でなかった。ようやく、1975年1月17日、第4期全国人民代表大会の第1次会議において憲法改正が実現された(75年憲法)。ただし、この75年憲法は全30条しか有せず、この簡易な体裁そのものが文革的法ニヒリズムを体現していた。この75年憲法は、その成立直後に「文化革命」が終結してしまったため、短期間のうちに効力を消滅するに至った。
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