中世インド数学(西暦400〜1600年頃)
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『スーリヤ・シッダーンタ』 (Surya Siddhanta) (西暦400年頃)は三角関数、正弦、余弦、逆正弦関数を導入し、天体の実際の動き、空の中での実際の位置を決定する法則の基礎を築いた。この文書では、より古くの文書の写しで、天体時間の周期が述べられ、365.2563627日間の恒星年に対応し、現在の公称値である365.25636305日間より1.4秒長いだけである。この文書は、中世にアラビア語とラテン語に翻訳された。 アリヤバータは、西暦499年に正矢関数 (en:Versine, 1 - cos θ) を導入し、正弦の最初の三角法表を作成し、代数学、無限小、微分方程式の解法とアルゴリズムを開発し、現代と同等な手法により線型方程式の解を求め、また万有引力の地動説に基づく正確な天文学の計算を行った。彼の著作『アーリヤバティーヤ』 (Aryabhatiya) は、アラビア語翻訳が8世紀に、ラテン語の翻訳が13世紀に行われた。彼はまた、円周率の値を小数点以下第4位の3.1416まで計算した。後の14世紀に、サンガマグラーマのマーダヴァは、円周率を小数点以下第11位まで計算した。 7世紀に、ブラーマグプタはブラーマグプタの定理、ブラーマグプタの二平方恒等式、ブラーマグプタの公式を定め、『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』で初めて、明快に0を空位および数字の両方として使用し、インド・アラビア数字を説明した。このインド数学書(西暦770年頃)の翻訳から、イスラム数学者は数字体系を導入し、アラビア数字に採用した。イスラム学者はこの数字体系の知識を12世紀までにヨーロッパに伝え、世界中で旧数字体系を置き換えている。10世紀に、ピンガラの著書についてのハラユーダ (Halayudha) の論評には、フィボナッチ数、パスカルの三角形の研究が含まれ、行列の計算が記述された。 12世紀に、バースカラ2世は、導関数、微分係数、微分法の概念と共に、微分学を考えだした。彼はまた、ロルの定理(平均値の定理の特殊な場合)を述べ、ペル方程式を研究し、正弦関数の導関数を調査した。14世紀から、マーダヴァと他のケーララ学派の数学者は、この概念を発展させた。彼らは、解析学と浮動小数点数、微分積分学の基礎から総合的な開発を行った。これには、平均値の定理、限界点の積分、曲線の下の領域とその不定積分または積分、収束判定、非線型方程式を解くための反復法、および無限級数、冪級数、テイラー級数、三角級数が含まれる。16世紀に、ジャヤスタデーヴァ (Jyeṣṭhadeva) がケーララ学派による発展と定理の多くを『ユクティバーサ』 (Yuktibhasa) に統合した。これは、世界初の微分学の教科書であり、積分法の概念もまた導入した。インドでの数学の進歩は、16世紀後半の政治的混乱のため停滞した。
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