下海上郡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 下海上郡の意味・解説 

海上郡

(下海上郡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 08:50 UTC 版)

海上郡(かいじょうぐん)は、千葉県下総国)にあった大化の改新後に建郡(立)され[注 1][注 2]、その後幾多の変遷を経て、平成の大合併で消滅した。


注釈

  1. ^ 『常陸国風土記』に鹿島郡の建郡の記事があり(大化5年)、それと同時期に建郡されたと考えられている。
  2. ^ 7世紀末には「郡」ではなく「評」と呼ばれていたが、大宝元年(701年)以降「郡」と称するようになった。
  3. ^ 下海上国造の領域が、3郡に分割されたものである。
  4. ^ 巻九-1780 「ことひ牛の 三宅の潟に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小舟を設け 玉巻きの 小楫繁貫き 夕潮の 満ちのとどみに 御船子を 率ひたてて 呼びたてて 御船出でなば 浜も狭に 後れ並み居て こいまろび 恋ひかも居らむ 足すりし 音のみや泣かむ 海上の その津を指して 君が漕ぎ行かば」。
  5. ^ 右記のほか御屋敷野新田が記載されているが詳細不明。
  6. ^ 四日市場村・三宅村・赤塚村・余山村・芦崎村・岡野台村・三門村・中島村・正明寺村の入会地より起立。
  7. ^ 同年山林地より起立。

出典

  1. ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 231頁
  2. ^ 『古代豪族と武士の誕生』 83頁
  3. ^ 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 154頁
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 232頁
  5. ^ 千葉県匝瑳郡教育会 1921, 88頁.
  6. ^ a b 『千葉県千葉郡長行方幹以下四名任官ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治35年5月26日。
  7. ^ 『千葉県警部直井綱千葉県匝瑳郡長ニ被任ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治41年8月17日。
  8. ^ 大植 1935, 1197頁.


「海上郡」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「下海上郡」の関連用語

1
18% |||||

2
4% |||||

下海上郡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



下海上郡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの海上郡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS