三菱総研研究員、独立総合研究所設立以降
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「青山繁晴」の記事における「三菱総研研究員、独立総合研究所設立以降」の解説
1998年1月1日付で株式会社三菱総合研究所に入社、政策・経済研究センターにて国家戦略立案の専門研究員となる。 2000年4月、小説第1作「夜想交叉路」で第90回 文學界新人賞にノミネートされた、しかし90回の新人賞は該当者無しとなる。その後、11年3か月ぶりに小説を脱稿した。同年5月、中川暢三市長時代の兵庫県加西市の「加西市総合計画特別審議員」を委嘱される。同年6月には関西テレビの選挙解説者を委嘱される。2015年3月に至る迄、選挙解説、ニュース解説として『FNNスーパーニュースアンカー』に出演していた。また、同年7月、民放連から民放連賞の九州地区の選考委員を委嘱される。 2002年4月 三菱総研時代の仲間数人と独立して、有限会社独立総合研究所を設立。代表取締役社長兼主任研究員に就任。研究者として、主に安全保障・危機管理・外交・政治を専門分野とし、専門分野はエネルギー安全保障、危機管理、国家安全保障、国際関係論、国家戦略の講演・講義を行っている。 同年5月には経済産業省の総合資源エネルギー調査会の専門委員に任命される。2006年1月、カタールの中東戦略会議に参加。間に招待されない年もあったが、2012年も日本から1人の参加となった。研究者としては主に安全保障・危機管理・外交・政治を専門分野とし各所で講演・講義を行っている。専門分野はエネルギー安全保障、危機管理、国家安全保障、国際関係論、国家戦略立案。2006年7月 経済産業大臣の諮問機関「総合資源エネルギー調査会」の原子力安全・保安部会原子力防災小委員会 危機管理ワーキンググループ委員に四たび任命(現職)。2006年12月 内閣総理大臣の任命により原子力委員会・専門委員(原子力防護専門部会所属)に就任。2007年1月 海上保安庁の公式政策アドバイザーに就任(現職)。2007年4月 近畿大学経済学部・国際経済学科の客員教授(国際関係論)に就任(現職)。2016年4月から、東京大学教養学部の学生自主ゼミ非常勤講師となり、ゼミを担当。 2013年9月26日、レギュラーコメンテーターとして番組参加(出演)していた、『ザ・ボイス そこまで言うか!』(ニッポン放送)の青山が出ていた放送回が「平成25年度 日本民間放送連盟賞 番組部門ラジオ教養番組」で優秀を受賞。 2016年6月20日、大阪市北区の帝国ホテル大阪にて記者会見を行い、通算8回目の出馬依頼を受諾し、第24回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬する事を表明し、その際には「1期6年しかやらない。政治献金は1円も受け取らない」とし、比例区全体の6位である48万1890票を獲得し当選を果たした。また、選挙結果の当落関係無く、6月30日付で独立総合研究所の社長職を退任する事を発表した。また、一個人の研究員として独研からの業務委託にて政策研究、作家、メディアでの情報発信活動も継続している。 2016年7月7日号週刊文春で、「青山が共同通信時代のペルー事件取材で経費を私的に流用した、として退社に追い込まれた」とする記事が掲載される。文春の取材に対して反論を行い、「虚偽の内容で選挙妨害に当たる」として、7月2日に週刊文春の記者と文春を東京地検特捜部に刑事告発した。その後、2017年1月に特捜部から告発の受理の有無についての解答が来た事を明かした。また、取材費の退職金からの相殺については、月刊Hanadaの編集長である花田紀凱は自身の取材として、「高額の取材費計上されるケースは理解出来る範疇であり、記事を掲載した文藝春秋社の松井清人社長が安倍政権を「極右の塊」と認識しているので、中傷記事が掲載される事は時間の問題であり、特段問題が無いことである」と見解を示した。
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