三菱自動車への出資 (2000年)
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「ユルゲン・シュレンプ」の記事における「三菱自動車への出資 (2000年)」の解説
シュレンプは自社をグローバルな自動車会社とするべく、アジアの自動車会社にも出資し、2000年に三菱自動車工業の株式37%、同じく現代自動車の株式10%を取得した。ほどなく、2001年3月に三菱自動車は約2870億円という巨額の最終損益を公表し、同社に出資したことについてシュレンプは株主やドイツ世論からの批判を受けた。 三菱自動車は稼ぎ頭であるトラック・バス部門を2003年に分社して三菱ふそうトラック・バスを設立し、ダイムラークライスラーは三菱ふそうトラック・バスの筆頭株主となった(2005年に連結子会社化)。業績が良好な部門を手中に収めたことから、シュレンプは三菱との提携は全体的に見れば成果を挙げていると主張していたが、2004年3月に三菱自動車の大規模なリコール隠し(三菱リコール隠し{4年振り2回目})が発覚したことがシュレンプ体制にとっての痛打となる。 この不祥事により、ダイムラークライスラーが三菱自動車への支援打ち切りを余儀なくされただけでなく(資本提携は維持)、これは三菱自動車との提携を支持していたシュレンプの立場を失わせるものともなった。
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