三菱石油合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:42 UTC 版)
1999年(平成11年)4月に「日本石油」と「三菱石油」が合併して「日石三菱」が発足すると、同社副社長に就任。中東出張を経て、2000年6月、人事・労務畑や総務優位で販売出身はありえないとされていた日石にあって、初の販売部長からの社長に就任した。更に、三菱財閥色を消すために、「三菱」のブランドを外そうとして、 ガソリンスタンドのブランド名「エネオス(ENEOS)」を新社名にも採用しようとしたが、旧三菱石油出身者らの猛反対にあい、頓挫した。 また、三菱石油のスリーダイヤマークのガソリンスタンドが廃止されることや、新社名から「三菱」の名前が消滅することに対する三菱グループ役員からの抵抗もあったが、渡は、彼らに説得をすることで、結果的に旧三菱石油特約店や三菱グループ役員の側が折れる形で受け入れざるを得なかった 社長としては1999年から約6年間で約2200億円のコスト削減を達成。合併時に約1兆4000億円あった有利子負債も、1兆円を下回る規模まで削減を達成。前任の社長から「ケタが1つ違うのでは?」との声が挙がるほどの果断な経営戦略を進めて評価を挙げた。 2002年(平成14年)に現在の「新日本石油」の社名に改称した。
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