一般兵器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 08:30 UTC 版)
自動小銃(AK-74) ソ連軍が採用した自動小銃AK-74を基に、銃の密造を企てた(詳細は自動小銃密造事件を参照のこと)。AK-74は麻原の命名で「ナーディー」、弾薬は「プラーナ」と呼ばれていた。 目潰し用レーザー兵器 通称「輪宝」。村井秀夫が開発した。実際に公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で使用されたが、効果は無かった。麻原の提案で、競走馬に照射して番狂わせを起こし一儲けしようとしたこともあり、平田信が実行したが成功しなかった。また1994年には井上嘉浩や現役自衛官の信者らが広島市の三菱重工研究所に侵入し、レーザーに関する軍事技術のデータ書類等を窃盗した。 広瀬健一によると、レーザー兵器開発の始まりは麻原がノストラダムスの予言に出てくる「剣」をレーザー兵器、「鮭」を「ICBM」と解釈した為である。中川智正によるとレーザー兵器開発の歴史は古く、真理党惨敗前の1989年春から始まっていたという。 またトラックに搭載したものもあり、地下鉄サリン事件捜査撹乱のため警視庁の警官の目を狙う話もあったが、車両が事故で警察に見つかっていたので中止された。 改造拳銃 元暴力団員の信者から譲ってもらったが、撃針が歪んでおり暴発の危険があった。 特殊潜航艇 1991年12月、「オウム海中都市構想」を企てた麻原が、その手始めとして村井らに命じ建造させた。発端は富田隆が映画『彼女が水着にきがえたら』に潜水艦が出てくることを話していたところ、麻原がオウムでも潜水艦ぐらい作れると言い出したことであるという。教団の雑誌「えんじょい・はぴねす」に掲載される予定だった。 動力源はディーゼル・エレクトリック機関を目指していたが開発が進まず、やむなく試作機の動力源は人力となった。しかし、操縦士役の端本悟曰くその外観は「ドラム缶二本を連結し、側面に穴を空け、その部分にコックピットのような形で透明な洗面器を取り付けたもの」という、潜航艇とは名ばかりの粗末なものであったという。静岡県沼津市の沼津港で進水式と試運転を行ったが、ハッチの不具合と水圧により、進水直後にクレーン車ごと沈没、端本が内部に取り残され、教団関係者も立ち去ってしまったため、地元のダイバーに救出された。後に彼は裁判にて「潜水艦が沈み内部に取り残されていたときは、走馬灯のように今までの人生が思い出された。オウムにめぐり合っていなければ…。」と悔恨の供述をしている。 爆薬 中川智正や土谷正実らにより、黒色火薬、RDX、PETN、TNT、HMX、ニトログリセリンが製造された。黒色火薬は島田裕巳宅爆弾事件で、RDXは東京都庁小包爆弾事件で使用された。 火炎瓶 東京総本部火炎瓶事件で使用した。 プラズマ兵器 麻原は第三次世界大戦でNBC兵器を凌駕するプラズマ兵器、恒星反射砲が使用されると語っていた。そこでオカムラ鉄工から奪い取ったプラズマ切断機を参考に兵器をつくろうとしていたが失敗した。他にも村井はICBMや衛星攻撃兵器など、オウムの規模では無謀な構想を思いついては部下に作らせようとしたため、広瀬や土谷は対応に苦慮したという。 ロシアからの兵器購入計画 教団はロシアから中古の軍用ヘリミル17を購入した(後述)が、そのほか、ミグ29戦闘機、戦車T-72を300台、魚雷艇、潜水艦などの購入計画もあった。
※この「一般兵器」の解説は、「オウム真理教の兵器」の解説の一部です。
「一般兵器」を含む「オウム真理教の兵器」の記事については、「オウム真理教の兵器」の概要を参照ください。
- 一般兵器のページへのリンク