ルイ9世 とモンゴルとは? わかりやすく解説

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ルイ9世 (聖ルイ) とモンゴル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 07:07 UTC 版)

フランクとモンゴルの同盟」の記事における「ルイ9世 (聖ルイ) とモンゴル」の解説

詳細は「第7回十字軍」を参照 フランス王ルイ9世は、彼自身起こした第7回十字軍通してモンゴル接触している。彼の最初海外遠征挑戦の間に、彼は1248年12月20日キプロス2人モンゴル使節面会している。彼らはイルハン朝モースルからやってきたデイビッドマーク英語版という名のネストリウス派信者で、ペルシャモンゴル軍指揮官イルジギデイ書簡携えてきた。書簡それまで服従を迫るような内容比較してより懐柔的なトーン書かれており、イルジギデイ使者は、エジプトとシリアイスラム教徒の軍が合流するのを防ぐ方策として、イルジギデイバグダード攻撃する間に、ルイ9世エジプト上陸攻撃してほしいと要請したルイ9世大ハーングユクの下にロンジュモーアンドレ特使として派遣することで応えたが、特使モンゴル宮廷到着する前にグユク酒色過ぎたために急死してしまった。代わって面会したグユク未亡人摂政オグルガイミシュは、ルイ9世への返礼として、贈り物見下したような手紙特使与えたのみで返し彼に毎年賛辞送り続けるよう朝貢命じたアイユーブ朝エジプト対抗するルイ9世作戦失敗終わった。彼はイルジギデイ提案通りエジプト上陸しディムヤート包囲戦英語版)でディムヤート占領成功したが、マンスーラの戦い全軍失いエジプト軍捕虜にされてしまった。結局莫大な身代金 (一部テンプル騎士団からのローン対応した) とディムヤート周辺全ての占領した都市返還引き換えに、彼の解放交渉なされた数年後1252年に、ルイ9世エジプト同盟 (第7回十字軍の間にエジプトではクーデター発生しアイユーブ朝からマムルーク朝にとってかわった)してシリア攻撃模索した失敗し1253年に、彼はイスマーイール派暗殺教団モンゴルとの間で再び同盟模索したルイ9世は、ヘトゥム1世の兄、アルメニア軍司令官スンバトがモンゴルのことを褒め讃える書簡を見倣って、自らもモンゴル宮廷フランシスコ会ウィリアム・ルブルック派遣した。しかし、モンゴル大ハーンモンケ1254年ウィリアム通じて返書返すだけで応じモンゴルへの国王服従求めたルイ9世は、1270年に彼自身2回目十字軍 (第8回十字軍) を企てたモンゴルイルハン朝君主アバカは、十字軍パレスチナ上陸した直ちに、軍事支援してほしと書簡でルイ9世要請したが、ルイ9世パレスチナではなく現代チュニジアにあたるチュニス進軍した彼の思惑明らかに最初にチュニス征服して、そこからエジプトアレキサンドリア到着するまで、海岸沿って彼の軍隊を動かすことだった。フランスの歴史研究家のアラン・ドゥマルジェ(英語版)とジャン・リシャールは、この時、十字軍側は未だモンゴルとの調整企て完了しておらず、1270年時点ルイ9世アバカからのメッセージに対して彼の軍と十分に協議出来ていないため、作戦1271年延期してほしいと問合せている最中で、シリアに代わってチュニス攻撃したのかもしれないことを示唆している。ビザンチン帝国皇帝アルメニアモンゴルアバカからの使節それぞれチュニスに在陣していたが、ルイ9世の突然の病没によって、彼の十字軍遠征計画継続は困難となり、終止符打たれた。伝説によると、彼の最後の言葉「エルサレム」だった。

※この「ルイ9世 (聖ルイ) とモンゴル」の解説は、「フランクとモンゴルの同盟」の解説の一部です。
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