元代の技術伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:19 UTC 版)
元代の13世紀にも経済的観点による技術革新があったが、これはクビライの時代の初の紙幣の大量生産である。13世紀になるとヨーロッパとモンゴルの間では度々接触があったが、その代表は不安定なフランクとモンゴルの同盟である。西方で展開した戦線では、攻城包囲戦専門の中国人部隊が編成され、モンゴル軍の一翼を担った。1259年-1260年にアンタキヤ公ボエモン6世(英語版)とその義父アルメニア王ヘトゥム1世(英語版)率いるフランス騎士団とフレグのモンゴル軍は軍事同盟を結び、共同でイスラム教シリアの征服に乗り出し、まずアレッポ、次にダマスカスを攻略した。ロジャー・ベーコンの個人的知己で1254年-1255年にフランス国王ルイ9世の命を受けモンゴル帝国を訪れたウィリアム・ルブルックは、東西間で火薬のノウハウ移転を仲介した人物らしいといわれる。羅針盤は1219年-1223年にかけてペルシアのモンゴル人を訪れたテンプル騎士団総長ペドロ・デ・モンタギューがヨーロッパに持ち帰ったといわれる。
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