元代の文芸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:53 UTC 版)
汪元量(中国語版)は、宋代・元代に仕えた詩人であり、王朝交代によって南宋の幼い君主やその母の全太后とともに元のフビライハンのもとへと連行された。彼はこの亡国の旅路を題材に「湖州歌」を作ったが、これは后妃や宮女の旅を歌った連作詩であり、当時の高位の女性の姿を描き出している。また、元初に活躍した女性詩人・絵師である管道昇は、中国史上で最も優れた画家の一人であり、竹画の歴史において重要な役割を果たしたとして高い評価を得ている。元代末期のトゴン・テムルに仕えた女性詩人・絵師の趙鸞鸞は、その詩が誤って『全唐詩』に入れられているが、その編者はその詩が性愛的であることから彼女は妓女だったのだろうと推測している。 魯国の王妃である祥哥剌吉(中国語版)は、女性芸術家として絵画や書の作品を残すとともに、宋代の芸作品術のコレクターでもあった。1323年、彼女は「雅集」を開催したが、これは女性が主宰したイベントであるという点で非常に珍しいものである。芸術作品を収集し、雅集を主宰した彼女の行動は、中国美術の発展に大きな影響を与えた。 元代の劇作家である夏庭芝(中国語版)は、役者の評判集である『青楼集』を作ったが、ここには100名以上の女優が記され、しかも老生(中年以上の男子役)や武生(立ち回りを主とする男性役)も多かった。また、山西省の広勝寺のの元代の壁画には、老生に扮した女性の姿が描かれている。
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