元代・明代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 04:15 UTC 版)
元代になると『宋史』芸文志が作られたが、乱雑であると評価されている。その著録方法は『新唐書』芸文志と同じであり、宋代に作られた四つの目録を一つに合わせた上で、「不著録」として宋代末頃の本を補ったものである。ここに至って、正史の「芸文志」は行き詰まりを見せ、これより後に正史を編纂する時には、芸文志は作らないか、作るからには別の方法を取る、というように変化した。なお、元代の宮廷図書目録は現代には伝わらないが、『秘書監志』によってその蔵書の大略は知ることができる。 明代の蔵書目録が楊士奇『文淵閣書目』である。前代の蔵書目録より全体の数量は遥かに多いが、書名と冊数だけを記録し、巻数は記録せず、撰人の姓名さえ記録しない場合が多い。銭大昕はこれを「官中書庫の帳簿」と称し、余嘉錫は杜撰な編集であるとして批判している。これ以降、明代の官蔵書目は十数種類のものが作られた。 明代を通して目録学は下火であったが、明末になると、焦竑によって『国史経籍志』が作られた。これは四部分類を用いながらも、細かな分類については『通志』の形式を取り入れている。一部独自の分類法を試みたほか、附録として、『漢書』芸文志・『隋書』経籍志・『宋史』芸文志・『崇文總目』・『通志』・『郡斎読書志』などの古来の目録に対して、分類の誤りを正すなどの新たな議論を展開している。各書に対する解題はないが、分類に対する総序はあり、学問の源流を論じるところもある。その一部は『四庫提要』の序論のもととなった。 書籍の流通量の増加に伴って、明末清初の間には蔵書家がますます増え、その目録も数多く作られた。『千頃堂書目』は後に『明史』芸文志の基礎となった。他に『澹生堂書目』『絳雲楼書目』『汲古閣蔵書目』なども著名である。銭曾の『読書敏求記』は珍しい本を入手した際にそれを記録した目録で、最初の珍本収蔵の解題である。
※この「元代・明代」の解説は、「目録学」の解説の一部です。
「元代・明代」を含む「目録学」の記事については、「目録学」の概要を参照ください。
- 元代・明代のページへのリンク