ロベール1世 (アルトワ伯)とは? わかりやすく解説

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ロベール1世 (アルトワ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 05:33 UTC 版)

ロベール1世
Robert Ier
アルトワ伯
在位 1237年 - 1250年

出生 (1216-09-25) 1216年9月25日
死去 (1250-02-08) 1250年2月8日(33歳没)
アイユーブ朝マンスーラ
配偶者 マティルド・ド・ブラバン
子女 ブランシュ
ロベール2世
家名 アルトワ家
父親 フランスルイ8世
母親 ブランシュ・ド・カスティーユ
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ロベール1世(Robert Ier d'Artois, 1216年9月25日 - 1250年2月8日)は、フランスルイ8世と王妃ブランシュ・ド・カスティーユの息子で、ルイ9世の弟。カペー家の支流アルトワ家の祖。

生涯

兄ルイ9世と共に第7回十字軍に参加してアイユーブ朝統治下のエジプトを攻撃したが、カイロへ進軍途中の1250年にマンスーラの戦いで敗死した。なお、エジプトを征服したあかつきには、ロベール1世をエジプト王に擁立する話があったという[1]

1237年にブラバント公アンリ2世の娘マティルドと結婚し、1男1女をもうけた。

マティルドはロベールの死後、サン=ポル伯ギー3世と再婚した。

脚注

  1. ^ 『聖王ルイ 西欧十字軍とモンゴル帝国』p394

参考文献

  • ジャン・ド・ジョワンヴィル『聖王ルイ 西欧十字軍とモンゴル帝国』(伊藤敏樹訳、ちくま学芸文庫 2006年)
先代
アルトワ伯
1237年 - 1250年
次代
ロベール2世



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