ラオス王国時代
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1949年7月19日 - フランス連合の枠内においてラオス王国誕生。 1950年10月24日 - ラオ・イサラ暫定政府が解散し、新政府樹立。 1951年3月11日 - パテート・ラオら抗仏団体による「抗仏連合戦線組織」結成。 1953年10月22日 - ラオス王国としてフランスより正式独立。 1954年7月21日 - インドシナ休戦(ジュネーヴ協定)に調印。 1955年12月25日 - ラオス初となる統一選挙が実施(NLHSは参加せず)。 1956年1月16日 - ラオス愛国戦線(NLHS)が結成。 1957年11月12日 - 王国政府とNLHSがヴィエンチャン協定締結。 1957年11月19日 - 第1次プーマ連合政府発足。 1958年8月15日 - プイ・サナニコーン内閣発足。 1960年8月9日 - コン・レー大尉によるクーデター発生。 1960年9月2日 - プーマ内閣発足。 1960年10月7日 - ソビエト連邦と国交樹立。 1960年12月2日 - ブン・ウム内閣発足。 1961年2月 - NLHSがシエンクワーンなどの諸都市を占領。内戦激化。 1961年5月16日 - ラオス和平に関するジュネーヴ国際会議が開会。 1962年6月12日 - トロイカ方式による第2次連合政府発足。 1962年7月23日 - ラオス和平に関しての協定調印とラオス中立宣言が採択。 1962年9月29日 - 北ベトナム、中国と国交樹立。 1963年4月19日 - シーホー将軍らによるクーデター発生。 1965年2月7日 - アメリカによる爆撃開始。以降アメリカとNLHSとの戦闘激化。 1965年10月1日 - NLHSが「人民解放軍」へ名称変更。 1966年8月28日 - メコン川の大氾濫。 1966年10月21日 - タオ・マー空軍司令官によるクーデター発生。 1968年1月16日 - ラオス国営通信社(KPL)開設。 1971年1月11日 - NLHSによる新紙幣が発行される。 1972年12月2日 - ラオス和平協定案が合意される。 1973年2月22日 - 正午に停戦決議が発効。 1973年4月16日 - プーマ首相がアメリカに爆撃再開を要請。 1974年4月5日 - 暫定国民連合政府(第3次連合政府)発足。 1974年6月3日 - アメリカ軍ラオス引き揚げ。 1975年 5月1日 - 首都で2万人規模の反右派デモ、右派閣僚五名が辞職。 1975年5月21日 - アメリカ国際開発局(USIDA)ビルがデモ隊に占拠される。 1975年5月27日 - アメリカ政府USIDA撤収に合意。 1975年12月2日 - 全国人民代表大会において王政の廃止と人民民主共和国の樹立が決定。
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