ラオス支援任務
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「チュー・フイ・マン」の記事における「ラオス支援任務」の解説
ジュネーヴ協定の締結によりフランス軍が撤退すると、チュー・フイ・マンは1954年8月に在ラオス・ベトナム軍事顧問団(第100団)団長兼党委員会書記に任命される。暗号名ヴー・チャン (Vũ Chân) の名で活動し、ラオスの革命支援、軍隊組織化のための顧問・専門家を統括した。1955年3月9日、ラオス派遣部隊が「ラオス幹事会」として再編されると、幹事会委員を兼ねた。 1957年には第4軍区政治委員、1958年に西北軍区政治委員兼西北区委員会書記となった。1958年、少将の階級を授与される。 1960年9月、ベトナム労働党第3回党大会において党中央委員に選出。同時期にラオス内戦が再燃すると、9月26日から30日にかけてパテート・ラーオ軍=ベトナム軍連合によりサムヌアを解放。その後も、プーミ・ノーサバン将軍が率いる右派政府軍との戦いを支援した。 1961年、第4軍区司令官兼政治委員、党委員会書記に任命。
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