内戦激化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 02:12 UTC 版)
詳細は「第一次コンゴ戦争」を参照 1996年8月に前立腺癌を患ってスイスの病院に入院したあたりから事態は変化していく。ザイール国内の不安定要因であった東部国境付近のフツとツチの民族紛争は、遂にザイール領内のツチ系最大勢力「バニャムレンゲ」の大蜂起に発展した。10月にはそれに乗じて人民革命党のローラン・カビラが反政府勢力を結集してコンゴ・ザイール解放民主勢力連合 (AFDL) を結成、ツチ人の軍事力を背景にキンシャサに向かって進撃を開始した。 武装蜂起当時、モブツは南フランスで静養中で1997年5月まで帰国せず、AFDL軍は、ザイール全土の約4分の3を制圧した。AFDLがキンシャサに迫ったので自国民の保護を念頭にアメリカ、フランス、イギリスや国連などが調停工作に乗り出す。
※この「内戦激化」の解説は、「モブツ・セセ・セコ」の解説の一部です。
「内戦激化」を含む「モブツ・セセ・セコ」の記事については、「モブツ・セセ・セコ」の概要を参照ください。
- 内戦激化のページへのリンク