内戦期の活動、晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/18 09:00 UTC 版)
1948年(民国37年)、財政部長王雲五が推進した金円券政策が失敗すると、危機を回避しようと徐堪は蒋介石に銀円券政策を進言する。これにより、同年11月、徐は王の後任として財政部長兼中央銀行総裁に任ぜられた。翌1949年(民国38年)3月、いったん劉攻芸に部長を譲ったが、6月に復帰する。同年7月より、広州で銀円券の発行を開始したが、すでに国共内戦における国民党敗退の趨勢は定まっており、銀円券もあっという間に暴落した。この失敗も原因となり、10月に徐は辞任、関吉玉にポストを譲った。 同年末、徐堪は香港に逃亡し、さらにアメリカに移った。1959年(民国48年)、台湾に移り、国民党中央評議委員、国民大会憲政研討会常務委員などをつとめている。 1969年(民国58年)7月29日、台湾にて病没。享年82(満81歳)。
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