内戦勃発後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 14:13 UTC 版)
「チュクエメカ・オジュク」の記事における「内戦勃発後」の解説
1969年3月には、ビアフラ共和国諮問会議の推薦を受けて、陸軍大将に昇進した。 オジュクは敗戦直前の1970年1月8日から10日にかけて、最後の閣議を開いた。全軍参謀長のエフィオング少将、司法長官のムバネフォ卿、警察庁長官のオケケなどの軍首脳部は、最後を見届けたいと語るオジュクに対し、兵士たちにこれ以上の抵抗をさせないためにも、国を離れるべきだと説得した。 1970年1月10日の夕刻、オジュクは車でウリ空港に向かい、経済補佐官のオキグボや、情報相で作家でもあったエクウェンシら数人の閣僚とともに、ビアフラ空軍機でコートジボワールに向けて亡命の旅に出た。再びナイジェリアの地を踏むのは、シェフ・シャガリ文民政権によって恩赦が下りた、1982年6月であった。
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