メスメルによる学説と治療の実践
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 10:19 UTC 版)
「動物磁気説」の記事における「メスメルによる学説と治療の実践」の解説
動物磁気説(Animal magnetism)の大本はドイツ人医師のフランツ・アントン・メスメルが18世紀に提唱したものである。 古来より磁石は空間を隔てて作用し、物と物との間に働く目に見えない力としてよく知られていた。また、当時の科学常識としてエーテル仮説のように空間には不認知の流体が満たされていると考えられていた。メスメルは、この流体を磁気に似た性質を持つ「磁気流体(magnetic fluid)」(現代における磁性流体のことではない)と仮定し、生物も含めた物質内を貫流し、生体相互で作用しているとした。この時、生物の体内に滞在する流体を「動物磁気(animal magnetism)」と名付けた。その上でメスメルは体内においてこの磁気に不均衡が生ずると病気になると考え、これを均衡化させることが当時治療法が不明であった病気の治療になると着想した。1774年にメスメルは、ヒステリーを患っていたフランシスカ・エスターリンの治療の一環として、鉄分を含む調合剤を飲ませた後、身体のあちこちに磁石をつけ「人工的な干満」を起こした。彼女は体内を流れる不思議な液体の流れを感じたと言い、数時間後に症状が緩和された。しかし、メスメルはこれは磁石で治療されたのではなく、自分の体内に蓄積された動物磁気を彼女に与えた結果だと捉えた。以後、メスメルは磁石を使わず、動物磁気の訓練を受けた者が患者に按手など行い、自らの磁気を与えることで治療ができるという学説を唱え、また実践した。 動物磁気に基づく治療法とは、具体的には治療者が自らの磁気を患者に当てることで、あえて患者の体内の磁気を乱し、それによって磁気を均衡させ、治療するというものであった。この患者の磁気を乱した際に、相手に痙攣や失神が起こり、これを「crisis」と称した。初期においてメスメルは個人を相手に治療したが、これはまず患者の前に座り、膝を相手の膝につけ、両手でその親指を抑え、また目をじっと見つめる。肩から腕に沿って手を動かし、患者の季肋部(英語版)(横隔膜の下あたり)に指を押し当て、時には何時間も手を当て続ける。多くの患者は特異な感覚を覚えたり、上記の「crisis」が起こり、これを治療の成功とした。治療の最後にはガラス製のアルモニカという楽器の演奏で締めくくることもあった。 1780年になるとメスメルは個人で治療しきれないほどの患者を抱え、「baquet」という集団治療法を確立した。この治療法を観察したイギリスの医師は以下のように記録している。 部屋の中央に約1フィート半 (45cm) の高さの器が置かれていて、ここではそれを「baquet」と呼んでいる。回りに20人の人々が楽に座れるくらいの大きさである。それを覆う蓋の端近くに、それを囲む人々と同じ数の穴が開けられている。その穴の中に、患者に適用されることになっている体の部分に応えるために、右側に曲がった、高さの異なる鉄棒を挿し込む。鉄棒の他にbaquetと患者の1人を繋ぐロープもあり、そこから別の患者たちが数珠つなぎなって一周する。最も著しい効果はメスメルが近づいたことで生み出される。メスメルは患者に触れることなく、手または目の決まった動きだけで「流体」を伝達すると言われる。私はその効果を目撃したという人、手の動きで痙攣が引き起こされ、治ったりしたという人の何人かと以前話したことがある……。 メスメルとその治療法は当時のフランスで広く知られることになるが、後述のように1784年にルイ16世の勅命を受けたフランス王立委員会は「磁気流体」を否定し、また同時期にプロイセンのハインリヒ大公(フリードリッヒ大王の弟)の前で行なった治療実演の失敗によってメスメルは凋落し、姿を消す。その後、動物磁気説の理論は弟子のピュイゼギュール侯爵やファリア神父に引き継がれ、最終的にはジェイムズ・ブレイドによって催眠術として学問的に確立した。
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