ミンバルの歴史と機能
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「ミンバル」の歴史はムハンマド・イブン=アブドゥッラーフの時代に遡り、伝承によれば信徒たちにムハンマドが良く見えるよう椰子の幹の下に座部のある2つの段を作らせたのだという。これはaʿwād'(ʿūd「木」の複数形)と呼ばれていた。タバリーの『世界の歴史』においてワーキディー(ドイツ語版)は説教壇の設置はムハンマドの時代のことであるとしている。「この年(7/628)に預言者はミンバルを作り、この上から人々に説教するのが常であった。2つの段と自身のための座部(maq'ad)を作った。他の版では8/629としているものもあり、こちらも信頼できると思われる。」 初期のカリフたちもまた同様にしてミンバルを使用した。初期にはミンバルは王座、世俗権力の象徴でもあったものであろう。 もともとは全てのモスクにミンバルがあったわけではなかった。エジプトの地域史家アル=キンディ・アル=ミスリ(971年没) は10世紀に、高名な租税管理人クッラ・イブン・シャリクの下で行われたフスタートの大モスクの包括的な拡張工事について記録する中で、このモスクにミンバルが設置されたのはヒジュラ暦94年(西暦712/713年)のことであったと記述している。アル=キンディの時代以前では、これがマディーナの預言者のミンバルに次ぐ2番目のミンバルであった。「彼(クッラ・イブン・シャリク)は94年に新しいミンバルを設置した。今日に至るまで、預言者のミンバルを除くとどこの行政区にもミンバルは見られなかったと言われている。」 ハイデルベルク大学に伝わるパピルスの巻物によると、フスタートには658-659年頃に既にミンバルが存在しており、地方の行政官が世俗の領分での演説を行う際に座席として用いていたという。 ウマイヤ朝の初代カリフ、ムアーウィヤはダマスカスからメッカへの旅の際に自分のミンバルを一緒に運ばせた。これが最初の移動したミンバルであったろう。メッカの都市年代記作者アル=アズラキ(865年没)によれば、ムアーウィヤはメッカで金曜の説教をミンバルで行った最初の者であり、このミンバルは3段しかなかったという。アンダルスの歴史家によれば、ウマイヤ朝のハカム2世のミンバルは955-956年のコルドバの大モスクの完成後のもので、可動式であり車輪で移動させることができたという。アッバース朝のカリフ、アル=ワースィク(ドイツ語版)(治世:842-847年)はハッジ(巡礼)の3つの重要な逗留地であるメッカ、ミナ (サウジアラビア)(ドイツ語版)、アラファト山にミンバルを設置するよう命じた。アル=アズラキの調査によれば、それぞれの逗留地で説教が行われたので巡礼儀礼における礼拝にこれらのミンバルが役立ったのである。 しかしながら、ウマイヤ朝になって以降もミンバルは裁判官の座として用いられており、裁判官は自宅前に自身でミンバルを設置させ、そこで判決を申し渡していた。ミンバルのこうした使用は10世紀のカイラワーンでも立証可能である。公的・法的な仕事の進行手段としての説教壇はモスクのミンバルとは切り離された、世俗の領分でのカディ(フランス語版)(裁判官)の私有物であった。ミンバルがモスクでの純粋に礼拝上の用途に用いられるようになるのはアッバース朝になってからであった。「モスクが純粋な礼拝の建物へと発達するに伴い、ミンバルも神政国家の統治者の王座から説教壇へと変化していった。」 イスラームの宗教建築の一部としての初期の形のミンバルが当初の姿のままでカイラワーンの大モスク(フランス語版)に保存されている。これはアグラブ朝の統治者イブラヒム2世(フランス語版)により建造されたもので、材料のヒマラヤ杉はそのためにバグダードから直送されたものであった。この11段の説教壇には、後の木のミンバルの特徴的な要素となる門と天井がまだ欠けている。装飾全体はウマイヤ朝の様式である。 エルサレムのアル=アクサー・モスクに見られるように、ファーティマ朝では既にミンバルの最終形に到達していた。1168年にヌールッディーンがアレッポのモスクのために寄進し、サラーフッディーンがエルサレムまでこれを運んだ。このミンバルには既に枠のある門とドーム状の覆いが備わっていた。カイロのスルタン・ハッサン・モスク(ドイツ語版)とマドラサのミンバル(現在は石造)も同様のデザインであった。 ファーティマ朝の、枠構造と蔓で覆われた様式を持つミンバルのデザインのもう1つの例が上エジプトのクス(قوص )のアムル・モスクに現存している。ここではミンバルとミフラーブが内部建築の1つの単位を構成しており、これらはファーティマ朝のワズィールでありアスワンとクスの知事でもあったTalāʾiʿ ibn Ruzzīq (طلائع بن رزيق)が1155年に街に寄進したものであった。 クスのミフラーブ クスのミフラーブ(部分)
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