初期のカリフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 00:50 UTC 版)
西暦632年にムハンマドが死去した後、イスラーム共同体の指導者としてアブー・バクルが選出され「神の使徒の代理人」(ハリーファ・ラスール・アッラーフ)を称したことに始まる。 2代目のカリフとなったウマルは「信徒たちの長」(アミール・アル=ムウミニーン)という称号を採用し、カリフの称号とともに用いられるようになった。 その後、ウスマーン、アリーに受け継がれ、ウマイヤ朝、アッバース朝に世襲されてゆく過程でハワーリジュ派、シーア派などがカリフの権威を否定して分派し、従うのはスンナ派のみになった。
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