軍事組織の再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 02:08 UTC 版)
アブドゥルマリクは先任者たちによるアラブの部族集団を活用した軍隊から組織化された軍隊へ軍事組織を転換させた。同じように、もっぱら部族の地位やカリフとの個人的な関係を通じて権力を得ていたアラブの上流階級の人々も次第に実力で出世した軍人たちに取って代わられていった。中世の史料では、ムダル、ラビーア、カイス、ヤマンといった部族連合の名称のように、軍隊について言及する際にアラブ部族に関する専門用語が使用され続けたため、こうした変化は部分的に不明瞭なものとなっていた。ホーティングによれば、これらの名称は初期のカリフたちが活用した「武装した部族」を表しているのではなく、むしろ部族の出自(それだけではないものの)によってしばしば決まっていた軍隊の派閥の構成者を表している。また、アブドゥルマリクは自身のマウラーで初代の司令官となったアル=ワッダーフにちなんだベルベル人を中心とする「アル=ワッダーヒヤ」と呼ばれる私的な民兵組織を立ち上げ、マルワーン2世の治世に至るまでウマイヤ朝のカリフたちによる権力の遂行を支援した。 秩序を維持するためにアブドゥルマリクの下で忠誠心の強いシリアの軍隊がイスラーム国家全域に配備されるようになったが、これは主にイラクにおける部族の有力者層の犠牲の上に成り立っていた。イブン・アル=アシュアスの下で起こったイラクの有力者たちによる反乱は、アブドゥルマリクに中央政府がイラクとその東方の従属地域の利益を確保する上でイラクのムカーティラが頼りにならないことを示した。軍隊が主としてシリア軍で構成されるようになったのはこの反乱の鎮圧以降のことである。さらにこの変化を決定づけたのは軍人の給与制度の抜本的な改革であり、俸給を支払う対象は現役の者に限られるようになった。これは正統カリフのウマル(在位:634年 - 644年)によって確立された初期のイスラーム教徒による征服活動の兵役経験者とその子孫に俸給を支払う制度に終止符を打つものであった。イラクの部族の有力者はこの俸給を伝統的な権利と考えていたが、一方でハッジャージュは自分とアブドゥルマリクの行政権や軍隊内の忠誠者に報いるための財政能力を制限する障害とみなしていた。クライシュ族を含むヒジャーズの住民に対しても同様に支払いが停止された。このような政策によって、アブドゥルマリクの治世下で税収を俸給の財源とする職業的な軍隊が確立された。しかし、その一方でアブドゥルマリクの後継者たち、特にヒシャーム(在位:724年 - 743年)はシリアの軍隊に依存したため、その軍隊のほとんどがシリアから遠く離れたイスラーム国家の多数の孤立した戦線へ分散することになった。この結果、国家の外敵がシリアの人々に与える負担と損害は増していき、軍隊内の派閥も増えていったために軍の弱体化が進んだ。そして750年にはウマイヤ朝の支配が崩壊するに至った。
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