軍制の改革と物価の統制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/18 16:30 UTC 版)
「アラー・ウッディーン・ハルジー」の記事における「軍制の改革と物価の統制」の解説
度重なるモンゴル軍の侵攻を撃退するため、アラー・ウッディーンは砦の修復と並行して、強力な軍隊を作り出そうと軍制の改革に着手した。デリー・スルタン朝の君主として初めて常備軍を設置、常備軍の増強のため軍事組織の再編、兵の名簿の作成、土地の給付に代わる給与の現金支給を実施し、軍馬要求の際の不正を一掃するために騎兵隊の馬に烙印を押すダーグ制度を導入した。47万5千に上る数の騎兵、騎兵以外に存在したと思われる歩兵を維持するための国家負担は非常に重く、農民への課税額は限度まで引き上げられて増税の余地は無かった。アラー・ウッディーンは膨大な数の軍隊を維持するために、軍費と給与を抑える様々な方策を考案し、特に物価の統制に着目した。 政府によって日用品(米、小麦、豆、砂糖、精製されたバター油、食用油など)から高価な商品(輸入布地、馬、家畜、奴隷など)に至る物価は低く抑えられ、市民と都市部の軍隊が必要とする穀物については密かに蓄えることを禁じ、飢饉に備えて国の穀倉に貯蔵された。物資の流通の円滑化、公定価格と利潤率の調整、取引業者の登録を実施し、不法な商取引はもちろんのこと、物資の売り惜しみにも罰則が設けられた。イブン・バットゥータの『大旅行記』でもアラーウッディーンの治下で行われた肉類、穀物、衣服の価格調整に触れられており、牛肉にかけられた税の撤廃、国の穀倉に貯蔵された穀物の開放などによって物価を抑制していたことが述べられている。飢饉に見舞われた時にも食料品の値上げは許されず、バラニーはハルジー朝下の穀物価格が安定していたことを称賛した。 市場の規則を破った者には厳しい罰則が加えられ、目方の不足に違反した商人は不足分の分量に相当する部位を身体から切り取られたという。また、価格統制のためにデリーには穀物、高級布地、最期に馬や家畜や奴隷を扱う3つの市場が設置され、これらの市場の管理は監督官(シャーフナーイエ・マンディー)を通して行われたが、一連の政策は全国的に行われたわけではなく、政策の実効力があったのはデリーとその周辺、および地方の一部の都市のみであったと考えられている。
※この「軍制の改革と物価の統制」の解説は、「アラー・ウッディーン・ハルジー」の解説の一部です。
「軍制の改革と物価の統制」を含む「アラー・ウッディーン・ハルジー」の記事については、「アラー・ウッディーン・ハルジー」の概要を参照ください。
- 軍制の改革と物価の統制のページへのリンク