軍制改革の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 06:43 UTC 版)
オルハンの時代に、オスマン軍の軍服にはジハードの戦士の衣服を元にした、民族的な帽子が取り入れられる。 当時のオスマン軍の兵力はトルコ系、モンゴル系の遊牧民、神秘主義(スーフィズム)を信奉する修道士、キリスト教徒であるエヴレノス家にミハル家などで構成される雑多な集団であった。こうした自主性の強いオスマン軍への統制を強化し、より効率のいい軍事活動を展開するために、従来の遊牧民を中心とする軍団から君主直属の常備軍への再編成が行われた。 トルコ系の民族から徴募した歩兵(ヤヤ)と騎兵(ミュセッレム)に軍団を再編成し、2つの軍隊に編入された彼らは軍役中は給与を現金で受け取り、平時は税を課されず農業に従事していた。 だが、常備軍の編成は満足な結果を残さず、どちらも補助軍の一部に格下げされ、常備軍制定の実現は奴隷軍人からなるイェニチェリが創設されるムラト1世の治世を待たなければならない。 他方、同時代に編成された非正規の騎兵(アクンジュ)は、バルカン半島での勢力拡大に大いに貢献した。彼らは給料が支払われない代わりに略奪品を獲得する権利を持ち、バルカン半島の国境地帯に配属された。機動力に優れるアクンジュが敵国に侵入を繰り返した後に本隊が攻め込む戦法は、バルカン半島での領土拡大に有効であった。 オーストリアの歴史家パウル・ヴィッテク(ドイツ語版)はこうしたオスマン帝国の軍事組織の発展より、非イスラム世界の征服を目的とする、宗教的かつ戦士的なガーズィー精神の影響を指摘した。
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