軍制改革の推進
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「カール・フォン・クラウゼヴィッツ」の記事における「軍制改革の推進」の解説
ベルリンではプロイセン改革として行政改革や教育改革などが進められており、軍制改革としては愛国的な国民軍の創設が準備されつつあった。軍隊における貴族的な特権の廃止、指揮官を育成するための陸軍大学校の準備などが進められシャルンホルストによって改革は計画されていた。シャルンホルストは19冊からなる軍制改革案を作成しており、人事、部隊編制、兵役義務、装備、訓練、戦闘教義、将校教育、整備、国土防衛、要塞建設などの幅広い領域にわたって改革を進めた。そして1808年から1812年の間にプロイセン軍の「基幹部隊」を育成することを開始し、各地域から毎月5名の新兵を受け入れて3ヶ月の訓練の後に帰郷させる制度を作り上げた。このことで軍事知識を普及させ、軍隊と国民の相互理解を深めるだけでなく、フランスが条約上で禁止した予備兵力を実質的に確保することが可能となった。クラウゼヴィッツはシャルンホルストがフランス占領軍に目をつけられて陸軍省を離れるまでこの軍制改革の推進のために働いており、1810年10月に新設された陸軍大学校の教官に任命されているだけでなく、プロイセン皇太子に軍事学の教官として指導にあたっている。この講義は『皇太子殿下御進講録』として残っている。
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