ペニー銀貨の鋳造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:39 UTC 版)
「オファ (マーシア王)」の記事における「ペニー銀貨の鋳造」の解説
8世紀初めごろ、イングランドではシャット(シェアト)という銀貨が発行されていたが、貨幣鋳造人や王の名前は刻まれていないものがほとんどであった。ウェセックス王イネの法典でも最少通貨の単位としてペニー(pæningas)の表記が見られるため、当時から人々はこの銀貨をペニーと呼んでいた可能性がある。このシャット銀貨は、おそらく主に760年代後半から770年代前半に鋳造されたものと考えられているが、おそらく790年代初頭までには次代の中量級の銀貨がオファによって発行されるようになった。この新硬貨は、以前のシャット銀貨よりも重く、幅広で、薄くなっており、同時代カロリング朝の通貨改革(ドゥニエ銀貨の導入)の影響を受けている。また、ほぼ例外なくオファの名前と硬貨を鋳造した造幣人の名前の両方が刻まれているのも特徴の一つである。こうした貨幣改革は、オファの造幣所以外にも広がっていたようで、イースト・アングリア、ケント、ウェセックスの王たちはすべて、この時期に新しい重さの硬貨を発行するようになった。 オファの時代の硬貨の中には、カンタベリー大司教であるイェンバートの名や、792年以降には大司教エゼルヘルドの名前が記されているものもある。イェンバートの硬貨はすべて、後の中量コインではなく初期の軽量コインに属している。また、780年代とそれ以前にロンドン司教エドベルト(Eadberht)が硬貨を発行したとする資料もある。オファはイェンバートとの対立により、エドベルトの鋳造権を認めたとみられるが、その後、リッチフィールド司教区が大司教区に昇格した際に、エドベルトの鋳造権は取り消された可能性がある。 中量型コインには、同時代フランク王国の通貨を凌駕する芸術性の高い意匠が施されていることが多く、描かれたオファの肖像は「アングロサクソン硬貨の歴史の中で唯一無二の繊細さを示す」と評されている。このオファの肖像には、髪をボリュームのあるカールにした「印象的でエレガントな」肖像や、前髪をつけてきつめのカールをしているもの、ペンダント付きのネックレスを身につけているものもある。こうした描写の多様性は、オファ硬貨の職人たちがインスピレーションの源となる様々な芸術的な情報源を利用できたことを示唆している。 オファの妻キュネスリス(Cynethryth)はアングロサクソンの王妃として硬貨に名前あるいは肖像が刻まれた唯一の人物で、貨幣鋳造人のエオバ(Eoba)が鋳造した注目すべきペニー硬貨のひとつである。これらはおそらく同時代のビザンツ皇帝コンスタンティヌス6世が生母である後の女帝エイレーネーの肖像を描いて鋳造したた金貨に由来するものとみられるが、このビザンツ金貨には横顔ではなく正面から見たイレーネの胸像が描かれており、キュネスリス硬貨はこれをそのまま模倣したものではない。 イェンバートが死去し792年から793年にかけてエゼルヘルドに交代する頃、オファは二度目の貨幣改革を行った。この「重量級の硬貨」は、ペニーの重さが再び増量され、すべての造幣所で標準化された肖像ではない意匠が導入された。このシリーズにはイェンバートやキュネスリスのコインは一枚も無いが、一方で大司教エゼルヘルドの硬貨はすべて新しい、重量級の硬貨であった。 オファが鋳造させた金貨も現存している。その一つは、774年にアッバース朝第2代カリフマンスール(Caliph Al-Mansur)が鋳造したディナール金貨を模倣した(擬クーフィー様式)金貨で、裏面中央には「Ofa Rex(オファ王)」の文字が打刻されている。一方、刻まれたアラビア語の文章には多くの誤りがあり、製作者がアラビア語を理解していなかったことは明らかである。この金貨はアンダルス(イスラム勢力下のスペイン)との交易のために作られたか、オファがローマと約束した年365マンクスの支払の一部として使われた可能性がある。この時代のアッバース朝ディナール金貨の複製品は他にもあるが、それがイングランド製かフランク製かは不明である。前者はオファの統治時代のものと考えられているが、後者はオファの統治時代、あるいは796年に王位に就いたコエンウルフ時代のものである可能性がある。その用途についてははっきりとしたことは何もわかっていないが、施し物(恩賞)として使用するために鋳造されたとの見方もある。 造幣人の名が記されている硬貨は多いが、鋳造された造幣所が刻まれた硬貨はない。そのため、オファが使用した造幣所の数や場所は不明である。現在の説では、カンタベリー、ロチェスター、イースト・アングリア、ロンドンの4つの造幣所があったとされている。 オファの発行したペニー銀貨は品質や量目などが一定で通用力があり、14世紀半ばまでイングランド貨幣体制の基盤となる貨幣であった。
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