ヘンリー (Henry, Joseph)
ヘンリーという人は
ニューヨーク州オールバニーに生まれる。 13歳で時計屋に奉公し、16歳のときある教会で”実験哲学講義”という書物を見つけてこれを読み科学に目覚める。 このあたりファラデーの子供時代とよく似ている。 苦学のすえ1826年に母校であるオールバニー・アカデミーの科学、数学の教授となり、1832年にプリンストン大学に転じて自然哲学を教えた。 スミソニアン研究所の初代所長となり、スミソニアンにおける天気予報の基礎づくりなど気象学研究を組織する。 アメリカ科学振興協会の創立者でもあり、国立科学アカデミー会長も務めた。
ヘンリーの主な経歴
1829年、導線を絶縁して非常に強力な電磁石の開発に成功する。 スタージョンの実験を耳にし、改良に着手。 強力な電磁石をつくるためには電線を多く巻く必要があり、それには電線そのものを絶縁する必要があった。電線の絶縁材として絹を巻きつけ、巻数の増加を図る。 結果338kgの物体を持ち上げる電磁石を作成し、その後、電池を用いて1tの鉄を持ち上げる電磁石を開発した。
1830年、電磁誘導の原理を発見した。これはファラデーよりも早いが、ファラデーのほうが先に論文として発表したため電磁誘導の発見者はファラデーとされた。 モーターの語源はラテン語の”動くこと” (motor)に由来する。
1831年、電動機についての論文を発表する。発電機の逆の作用が電動機であり、発電機と逆に電気エネルギーを機械エネルギーに変換するものである。現在のモーターの原型はヘンリーによるものといえる。
1831年、電信機の原理について実験する。電池を電源として、電鍵によって1.6km先の小さな電磁石を遠隔で操作する実験を行う。しかし、導線の抵抗によりうまくはいかず、この失敗を補うため1835年に継電器を発明する。
1832年、自己誘導の発見をする。電信の実験中に偶然、電流の断続時の誘導電圧によるスパークを目撃する。 早速、コイルの形状や巻数、鉄心の挿入などを変化して実験をはじめる。 ファラデーの電磁誘導にはこの自己誘導の部分が含まれておらず、これはヘンリーの発見として認められた。
1842年、電気振動を発見する。コンデンサに蓄えられた電荷をコイルを通じて放電すると電気振動が発生する現象を発見した。
ジョセフ・ヘンリー
ヘンリーの偉大な点は、数多くの発見をしながらそれを特許として独占しようとはしなかった点である。 裕福な生まれではないヘンリーだが、特許収入よりも科学の発明は全人類の利益のためと考えたようだ。 電信についてはアメリカのモールス、イギリスのホイートストンが有名だが、両者ともヘンリーの技術支援を受けている。
電磁誘導であるが、ヘンリーの電磁誘導とならなかった理由は大学の講堂を実験場としており、講堂は夏休みの間しか使えなかったため翌年まで待っていたらファラデーに発表されてしまったということらしい。 ファラデーが発表したあとに慌てて発表したがダメだったようだ。1836年にイギリスへ旅行に行き、ファラデーとの親交が始まる。 権力を拒み生涯一研究者であり続けたファラデー。自分の金よりも人類全体の利益を選んだヘンリー。共通するものがある気がする。
インダクタンスの単位・ヘンリー
固有名詞の分類
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