ヘビー級転向
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1981年10月にヘビー級転向のためジュニアヘビー級王座を返上。翌1982年1月より「飛龍十番勝負」が始まる。ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジェシー・ベンチュラ、ディック・マードックらと闘うも、十番を消化することなく、中途で終わることになった。 しかしながら、海外遠征中の同年8月30日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでジノ・ブリットを破りWWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。ヘビー級のチャンピオンベルトを手土産に凱旋帰国、9月21日に大阪府立体育館にてマスクド・スーパースターを逆さ押さえ込みで破り、初防衛に成功した。この一戦で新間寿が仕掛けたサプライズとして当時婚約中であった妻がリングに上がって観客から拍手を受けた。 この年の10月、長州力との抗争が始まり、さらに長州率いる維新軍との軍団抗争で新日本に黄金期をもたらす。長州との一連のシングルマッチは「名勝負数え歌」と呼ばれ、1983年4月3日のWWFインターナショナル・ヘビー級タイトルマッチは同年のプロレス大賞ベストバウトを獲得した。同年のWWF遠征では、5月16日にロチェスターにてレイ・スティーブンス、翌17日にシラキュースにてザ・デストロイヤーと対戦し、それぞれ勝利を収めている。 しかし、同年8月のタイガーマスクの引退、さらに翌年1984年にはUWF旗揚げによる前田日明らの離脱、年末の長州力ら維新軍団の新日本プロレス離脱、と新日本は冬の時代と呼ばれるようになる。一時は「藤波も離脱秒読み」と報道されたが藤波は残留を決めた(藤波が離脱していればその時点で新日本は潰れただろうと言われている)。 残留を決めて以降は猪木、坂口、木村健吾、星野勘太郎らと共に新日本プロレスの低迷期を支え、1985年5月24日 木村健吾とのタッグにてWWFインターナショナル・タッグ王座を獲得。WWFインターのシングルとタッグの二冠に輝き、6月11日に東京体育館にてハルク・ホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦した(ホーガンが防衛)。インターナショナル・ヘビー級王座もカウボーイ・ボブ・オートンやアドリアン・アドニスなどを相手に防衛していたが、WWFとの業務提携終了に伴い、1985年10月末でWWFインターのシングルとタッグ両王座を返上。しかし12月12日のIWGPタッグリーグ優勝戦でタッグとはいえ師匠・猪木からドラゴン・スープレックスで初のフォール勝ちを達成。初代IWGPタッグ王座を木村健吾と獲得、その年の「プロレス大賞」でMVPを獲得した。 1986年1月から前田らUWF勢が新日との業務提携により参戦。UWF勢のキックに新日勢は当初逃げ腰だったが藤波は真正面から受け止め、特に6月12日大阪城ホールIWGP公式リーグ戦での前田日明との試合は前田の厳しい攻めを(前田の大車輪キックで大流血になりながらも)受け止め名勝負を展開した(結果は両者KOによる引き分け)。この試合はこの年のプロレス大賞ベストバウトを獲得し、試合後前田は「無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた。そしてその仲間とこれから大きな国を作っていく...そんな心境です」と藤波に賛辞を送った。だが藤波の額にはその時の傷が残り、現在も消えずに残っている。 同年8月にはアメリカ南部のNWAのメジャーテリトリーにも遠征しており、フロリダのCWFでは木村と組んでファビュラス・ワンズ、ダラスのWCCWではクリス・アダムスと対戦した。 1987年4月には長州力らジャパン・プロ勢が新日にUターン。新日本プロレスは猪木、坂口、マサ斎藤らナウ・リーダーと藤波、長州、前田らニュー・リーダーの闘いで人気を博すも、その後の前田の長州蹴撃による離脱、二度に渡るファンの暴動事件などで再び新日の人気は陰りを見せ始めた。
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ヘビー級転向
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「KAI (プロレスラー)」の記事における「ヘビー級転向」の解説
2012年8月25日、諏訪魔とのシングルマッチで敗戦した翌日、KAIの口からヘビー級への転向の意思が語られる。そのため、ヘビー級の体作りとしてKAIの無期限欠場も発表された。 2013年2月23日後楽園ホール大会で、3月17日の両国国技館大会で真田聖也を相手に復帰する事が発表される。そして当日、ジャンピングサンダーファイヤーボムで勝利し、ヘビー級に転向しての初勝利を飾った。 その後のチャンピオン・カーニバルでは初出場ながら潮崎豪を準決勝で下すものの、決勝では秋山準に苦杯を喫した。
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