フロリダ大学時代
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「ティム・ティーボウ」の記事における「フロリダ大学時代」の解説
フロリダ大学に入学した彼は2006年、122プレーの出場ながらラン、パス合計で13TDをあげる活躍を見せ、サウスイースタン・カンファレンスのフレッシュマンオールチームに選ばれる活躍を見せた。この年、クリス・リーク(英語版)の控えQBとなった彼はサザンミシシッピ大学戦で敵陣ゴール前に迫ったプレーでデビュー、QBスクランブルでのTDをあげた。2戦目のセントラルフロリダ大学戦ではチームのラッシングリーダーとなった。BCSナショナル・チャンピオンシップ・ゲームでも1TDパス、1TDランをあげて勝利に貢献した。 2年生となった2007年には先発QBとなり、開幕戦の西ケンタッキー大学戦ではパス17回中13回成功で300ヤード、3TD、ランでも1TDをあげて49-3と勝利した。9月22日のミシシッピ大学戦ではQBとしての大学記録となる166ヤードを走ったほか、パーシー・ハービンに11回、121ヤードのパスを通すなど、トータルオフェンスで427ヤードを獲得、30-24で勝利しチームは開幕から4連勝を果たした。11月3日のバンダービルト大学戦ではシーズン14回目のTDランを決めてカンファレンス記録を更新した。11月24日のフロリダ州立大学戦でパス28回中19回成功、262ヤード、3TD、13回のランで89ヤード、2TDをあげたが、この試合の第3Qのプレーで右肩を骨折していることが試合後に判明し、3週間ギプスを着けた。 シーズンを締めくくる2008年1月1日に行われたミシガン大学とのキャピタルワンボウルでは激しいブリッツにあい、3TDパス、0INTながら、パス33回中17回成功、154ヤードに抑えられ、ディフェンスがチャド・ヘニーにパスで373ヤード、ジム・ハートにランで129ヤードを許し、35-41で敗れた。この年パス317回中217回成功、3,132ヤード、29TD、6INT、ランでチームトップの895ヤード、23TD(QBとしてはNCAAシーズンタイ記録)の成績をあげてQBレイティングでは全米2位の177.8、ランでは1回あたり4.3ヤードを走り、2年生として初めてハイズマン賞を受賞した。この年チームは9勝4敗で全米ランク13位となっている。 2007年シーズン終了前、アーバン・マイヤーヘッドコーチはフロリダ州立大学戦で右手、ジョージア大学戦で右肩を負傷したティーボウの負担を減らすため、2008年シーズンは2人のQBを起用する意向を表明した。シーズン開幕前、自身のキリスト教の信念に反することから、アダルト雑誌であるPLAYBOY誌によるプレシーズンオールアメリカンチームに選ばれることを拒んだ。2008年11月1日の試合で37回目のTDランをあげて、エミット・スミスが保持していた大学記録を塗り替えた。この年チームは、カンファレンス東地区タイトルを獲得し、アラバマ大学とのカンファレンス決勝で勝利、全米ランキング2位となり、オクラホマ大学とのBCSナショナル・チャンピオンシップ・ゲームで24-14と勝利、3年間で2度目の全米チャンピオンとなった。チャンピオンシップで優勝した3日後の1月11日に行われた祝勝会の際に、2009年のNFLドラフトにアーリーエントリーせずに4年次に進学することを表明した(チームメートのパーシー・ハービン、ブランドン・スパイクスはアーリーエントリーを行った。)。翌日右肩の骨棘を取り除く手術を行った。 ティーボウは、ハイズマン賞の投票では最多の1位票を獲得したが、サム・ブラッドフォード、コルト・マッコイに次ぐ3位であった。この年28TD、2INT、QBレイティングはNCAA1Aで5位の176.7、ランで564ヤード、12TDをあげた。 2008年ハイズマン賞ファイナリスト投票ファイナリスト1位票(3ポイント)2位票(2ポイント)3位票(1ポイント)合計ポイントサム・ブラッドフォード 300 315 196 1,726 コルト・マッコイ 266 288 230 1,604 ティム・ティーボウ 309 207 234 1,575 グレアム・ハレル 213 マイケル・クラブツリー 116 出典 2009年、チャールストンサザン大学、トロイ大学相手に開幕から2試合連続でパス、ランそれぞれでTDをあげた。第3戦のテネシー大学戦ではランでTDをあげたものの、1年次以来となるTDパスなしに終わった。9月26日のケンタッキー大学戦ではインフルエンザに罹ったままプレーした。この試合で相手選手にサックされた際にチームメートのマーカス・ギルバートのひざで頭部を強く打って脳震盪を起こし数分間はフィールドに横たわったままであった。その日のうちにケンタッキー大学の病院に運ばれた彼はCTスキャンを受けた結果、脳内出血はなく軽度の脳震盪と診断された。フロリダ大学は翌週試合がなかった。2週間後の10月10日に行われたカンファレンスのライバル、ルイジアナ州立大学戦で復帰し勝利を飾った。10月31日のジョージア大学戦では大学通算50回目、51回目のTDランをあげて、ジョージア大学のハーシェル・ウォーカーが持っていたサウスイースタン・カンファレンス記録を塗り替えた。12月5日のアラバマ大学とのカンファレンス優勝決定戦で、パスで245ヤード、1TD、ランでチームトップの63ヤードを走ったが、13-32で敗れた。シンシナティ大学とのシュガーボウルではパス35回中31回成功で482ヤード(自己ベスト)、3TDパスの成績をあげて51-24で勝利、13勝1敗の成績を残した。チームメート同士の投票によって選ばれるMVPに2007年から2009年まで3年連続で選ばれた。大学時代通算で41試合に先発し36勝、9,285ヤードを投げて88TD、16INTの成績を残した。この年のハイズマン賞の投票では5位となった。12月にはスポーツ・イラストレイテッドからカレッジフットボール2000年代最高の選手に選ばれた。 2010年1月のシニアボウルではパス12回中8回成功したが、2ファンブルと課題を残した。2月に行われた第44回スーパーボウルで中絶に反対する社会保守主義団体フォーカス・オン・ザ・ファミリーのCMに出演した。このCMは中絶賛成派(プロチョイス)からは非難された。 2月下旬に行われたNFLスカウティング・コンバインではフォーム改造中のためパス練習を回避した。3月17日に母校フロリダ大学で行われたプロ・デイで新しい投球フォームを披露した。その後、ドラフト前にワシントン・レッドスキンズ、バッファロー・ビルズ、シアトル・シーホークス、ニューイングランド・ペイトリオッツ、クリーブランド・ブラウンズ、デンバー・ブロンコスを訪問しワークアウトを行った。
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