フランス語マグレブ文学第一世代
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「ムールード・マムリ」の記事における「フランス語マグレブ文学第一世代」の解説
マムリは、『貧者の息子』(1950年)のムールード・フェラウン、『アフリカの夏』(1959年)のムハンマド・ディブ、『ネジュマ』(1956年)のカテブ・ヤシーンとともにアルジェリア(またはマグレブ全体)のフランス語作家の第一世代であり、フランス語マグレブ文学(フランス語版)の先駆者とされる。日本でアラブ文学・マグレブ文学の翻訳が最初に紹介されたのは1970年代のことであり、1974年に野間宏編『現代アラブ文学選』、1978年から80年にかけて野間宏・前嶋信次編『現代アラブ小説全集』全10巻が刊行された。4人の第一世代作家はそれぞれ邦訳が1冊刊行されたのみであるが、ディブの『アフリカの夏』とマムリの『阿片と鞭』は他の第一世代作家に先駆けて、この『現代アラブ小説全集』として刊行された。この2人のアルジェリア人作家以外は、エジプトの作家が5人のほか、レバノン、パレスチナ、スーダンがそれぞれ1人である。マムリは国際ペンクラブ、国際アジア・アフリカ作家会議の会員であり、特に国際アジア・アフリカ作家会議のアルジェリア代表として、1974年に日本アラブ文化連帯会議に出席するために来日している。また、上述のように人類学者としても日本の研究者との交流があった。 彼はこのほか、アルジェリア独立の翌1963年にアルジェリア作家連合の結成に参加し、1966年まで会長を務めた。事務総局長を務めたのは、植民地主義と闘った詩人ジャン・セナック(フランス語版)である。マムリは会長を辞任した理由について、組織とは結局、規律に従うこと、形式主義、全体主義であって、「顔があって、名前があって、心がある個人を羊のように檻に囲い込むことである」と考えたからであると説明している。 マムリは処女作『忘れられた丘』のほか、『義人の眠り』(1952年)、『阿片と鞭』(1965年)、『横断』(1982年)の長編4作と短編集2冊を発表した(雑誌掲載の短編を除く)。アルジェリア独立の3年後に発表された『阿片と鞭』は、アルジェリア独立戦争を背景にカビリー社会の変容や内部崩壊を描いた作品であり、独立の達成は描かれないまま、村が砲弾を受けて壊滅する場面で終わっている。この作品は1969年にアフメド・ラシュディ(フランス語版)監督によって映画化され、アルジェリア映画の古典となっているが、原作と違ってアラビア語による作品であり、カビール語の人名も、たとえば「アミルーシュ」が「アッバース」に変更されるなど、ベルベル語の表現がかなり失われている。ラシュディはマムリに人類学の観点から評論を書くよう依頼したが、マムリはいったん断った後、説得されて執筆したものの、映像を見ないまま執筆した。にもかかわらず、映像にも状況にも歴史の場面にも完全に一致する内容であったとラシュディは語っている。なお、邦訳『阿片と鞭』には、マムリと同様に「異言語」で執筆する金石範による小論が添えられている。
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