フランス語国語論とは? わかりやすく解説

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フランス語国語論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:26 UTC 版)

志賀直哉」の記事における「フランス語国語論」の解説

1946年昭和21年)、直哉は『改造4月号に「国語問題」というエッセイ発表する直哉40年近い文筆生活の中で、日本国語が不完全であると痛感したとして「日本思ひ切って世界中で番い言語、一番美し言語をとって、その儘国語採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないか思ふ。」と提言する直哉フランス語話せなかったが「文化進んだ国であり、小説読んでみても何か日本通ずるものがあると思はれる」という根拠フランス語推した日本語文章においては随一作家であると評価されていた直哉のこの意見に、読者戸惑い議論となった直哉門人である河盛好蔵辰野隆は「失言」ととらえており、他の門人たちも特に触れた文章残していない。阿川弘之調査によればエッセイ発表後学者文人反論した文章はほとんど見つからないという。福田恆存土屋道雄による『國語問題論爭史』(1962年新潮社)では、直哉のフランス語国語論は世間注目浴びたが、真面目に受け取られることなく流されてしまったと書いている。大野晋若い頃から志賀直哉作品愛読しており、「小説の神様」が日本語見捨てようとしたことに大変ショック受けた公に反論書いてはいない。大野は『日本古典文学大系』の編集担当だった直哉息子直吉直哉発言真意問いただしたところ、直吉は、日本の文学読まれない、わかってもらえないのは日本語特殊なせいで、フランス語のような国際語書かれていればという考えがあったのではないか答えたという。 批判者代表として丸谷才一三島由紀夫挙げることができる。これに対して蓮實重彦は『反=日語論』や『表層批評宣言』などにおいて直哉擁護した戦後直哉閉口していたのは原稿当用漢字現代仮名遣い修正されることで「原文のまま載せてくれない新聞雑誌には書かぬことにする」(展望1950年3月号)と宣言している。

※この「フランス語国語論」の解説は、「志賀直哉」の解説の一部です。
「フランス語国語論」を含む「志賀直哉」の記事については、「志賀直哉」の概要を参照ください。

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