独立の達成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 18:32 UTC 版)
千日戦争が終結すると、アメリカ合衆国のセオドア・ルーズヴェルト政権はコロンビア政府にヘイ・エラン条約の批准を要求したが、コロンビア上院はこの屈辱的な条約の批准を拒否したため、新パナマ会社のフィリップ・ビュノー・バリーヤはマヌエル・アマドール・ゲレーロらの分離独立派とニューヨークで会談し、これを支援することが決定した。これにより1903年11月3日、アメリカ海軍の後ろ盾の元にパナマ共和国はコロンビアからの独立を宣言した。アメリカ合衆国は11月13日にパナマ共和国を承認した。 11月18日、アメリカ合衆国はパナマ人不在のままにパナマと運河建設に関する条約(ヘイ・ビュノー・バリリャ条約)に署名し、一時金1,000万ドル及び運河地域(パナマ運河地帯)の年間使用料として25万ドルをパナマに支払うことと引き換えに、運河建設権、運河地域の永久租借権及び排他的管理権を獲得した。また、アメリカ合衆国はパナマの独立を保障しパナマ国内に混乱が生じた際には混乱を解決するために介入する権利も得た。この権利によりアメリカ合衆国は、パナマ運河建設中だけではなく、運河完成後もパナマ内政へ介入した。 1904年、制憲議会において採択されたパナマ憲法では大統領及び副大統領2名、一院制議会、最高裁判所等に関する条項が規定され、アマドールが初代大統領に選出された。
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