フィレンツェ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 18:18 UTC 版)
「アンブロージョ・ロレンツェッティ」の記事における「フィレンツェ時代」の解説
ヴィーコ・ラバーテ教会の≪聖母子≫制作(1319年)から1332年までは、アンブロージョの画業のなかで最も不明瞭な時期である。この時期には、制作年代の入った作品も史料的裏付け可能な作品も見つかっていないためである。幾人かの研究者は、ミラノのブレラ美術館所蔵の≪聖母≫やメトロポリタン美術館の≪ブルメンタルの聖母≫、シエナのカルミネ教会に由来する≪十字架磔刑≫(シナ国立美術館蔵)をこの時期に帰している。しかしながら、制作年に関して研究者の間で全く合意をえていない。確かなことは、アンブロージョがこの時期主にフィレンツェで活動したという事である。フィレンツェ国立古文書館蔵のヌード・ディ・エルミリオについての画家アンブロージョの契約書によると、画家は医師薬剤師の同業者組合(ギルド)に所属している。さらにロレンツォ・ギベルティはフィレンツェのアウグスチノ修道院内にアンブロージョが恐らく1327年から1332年に描いたフレスコ画に言及している。 アンブロージョがこの時期フィレンツェに滞在したことを裏付けるより確かな証言は、フィレンツェのサン・プロコロ教会に由来する三幅対祭壇画である。今日、本作品に書かれていた画家の著名と制作年1332年を判読することはできないが、数世紀にわたり、多くの人物がこれを目にしたという証言が残っている。近年ウフィツィ美術館において再構成されたこの三幅対祭壇画には、聖母子と聖ニコラ(左)、聖プロコロ、三幅板絵の上部に位置する尖塔装飾には救世主キリスト(中央)、聖書記者ヨハネ(左)、洗礼者ヨハネ(右)が表されている。ヴィーコ・ラバーテ教会の≪聖母子≫と比較するならば、アンブロージョは本作品において長足の進歩を遂げていることが見て取れる。人物像は彫塑性を増し、洗練されて、繊細な明暗技法が用いられ、豊かな装飾性も見られることから、本作品をもってジョット派の絵画様式に接近したと言えるだろう。人物像の姿勢にはいまだ堅固さが残っており、この点が30年代初めのジョットによる人物像やシモーネ・マルティーニ、リッポ・メンミによる人物像とは異なっている。 しかしながら、聖母と幼子の間に人間味ある触れあいを見出すことができる。本作品において、口を半空きにして大きく目を見開いて母親を見つめる幼子イエスの姿はまさしく新生児に典型的な表情である。マリアは幼子に穏やかな表情で応えており、右手の指を遊ばせている。聖母の左手は、ロレンツェッティ絵画に典型的な広げた手つきで描かれている。 今日ウフィツィ美術館に展示されている聖ニコラウス伝を表す四枚の小板絵連作も同じくフィレンツェのサン・プロコロ教会に由来し、1332年頃に制作されたと考えられている。これらの板絵は、物語を絵画化する画家の才能と、不自然な表現を避けた建築描写における画家の能力を示している。例えば、≪悪魔により絞殺された子供を再起させる聖ニコラウス≫において、同じ子供が四度描かれている。階段下、建物1階部分のアーチの下、階段上部、建物2階部分では欄干の向こうに描かれている。これらの板絵において、金箔はほとんど用いられていない。
※この「フィレンツェ時代」の解説は、「アンブロージョ・ロレンツェッティ」の解説の一部です。
「フィレンツェ時代」を含む「アンブロージョ・ロレンツェッティ」の記事については、「アンブロージョ・ロレンツェッティ」の概要を参照ください。
フィレンツェ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 04:27 UTC 版)
「アルテミジア・ジェンティレスキ」の記事における「フィレンツェ時代」の解説
裁判からおよそ1か月後、アルテミジアの名誉を回復する目的で、父オラツィオは彼女をフィレンツェの芸術家、ピエール・アントニオ・シアテッシと結婚させた。アルテミジアはこの夫とフィレンツェへ移住、4人の息子と1人の娘(こどもの人数については諸説あり)を持った。フィレンツェの芸術院では最初の女性会員としてAccademia del Disegno (絵画アカデミー)に受け入れられ、クリストファロ・アッローリらの著名画家とも親交をもった。フィレンツェでの成功はめざましく、メディチ家の大公コジモ2世やクリスティナ大公妃の知己を得た。また、学者のガリレオ・ガリレイとの手紙のやりとりも現存している。フィレンツェにおいては Allegoria dell'Inclinazione、La conversione della Maddalena(ピッティ宮所蔵)などの作品を残した。
※この「フィレンツェ時代」の解説は、「アルテミジア・ジェンティレスキ」の解説の一部です。
「フィレンツェ時代」を含む「アルテミジア・ジェンティレスキ」の記事については、「アルテミジア・ジェンティレスキ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からフィレンツェ時代を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- フィレンツェ時代のページへのリンク